変わりやすいお天気のためか、エンジンのかかり(体の)がいまひとつ。
少し動くと疲れてしまう。
昨日、群馬の古書市&年度初めの総会に参加した帰り道も、二人ともぼんやりぐったり。
まだ慣れない世界のための緊張もあるからかもしれない。
おまけにこの時期は、収入(売上)もないのに出費(仕入れなど)が重なる一方で、(ゼロから立て直すため仕方のないことなのだけど、)日頃お金のことは任せきりの私でもなんとなく不安でずっしりする。
これはもう"はじまって"しまうしかない。
"はじまって"しまえば、くるくる進むものだし、なによりお客さんが元気にしてくれる。
だけど、そのお客さんが来なかったら.....?なんて、またまたずっしり、どんより。
だからもう、"はじまって"しまえーー!
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ずっしりな日には、本を読むに限る。
落ち着いて本を手に取るのは久しぶり。(「商品」としてではなくて、本来の愉しみとしての本は。)
軽井沢の図書館から借りて来たうちの2冊。
『夜は短し歩けよ乙女』は、いつだかの本屋大賞だったか、いわゆる本好きがお薦め、みたいに評価されていたことで逆に読まずにきていた一冊。(あまのじゃく。)
好き嫌いは分かれるだろうけど、今みたいに形のない不安にずっしりきているときにはこの手の荒唐無稽さがちょうどよく、コタツに半分めりこんでずしずし読んだ。
万城目さんのときも思ったけど、京都で学生生活を過したかったなぁと思う。
進々堂のがっしりとしたテーブル(まだ行ったことはなのですが)で珈琲を飲みたい。
このところバンバン新作が出る佐野洋子さんのエッセイ『問題があります』。
トイレに持ち込んだりして(佐野サンゴメンナサイ)笑いをこらえつつ読む。
誰だかが武田百合子のことを<見るひと>だと評していたけど、私は佐野さんのエッセイを読むたびに、この人は<見逃さないひと><見てみぬフリをしない(できない)ひと>だなぁと思う。
世の中のことも、家族のことも、小さい頃の記憶も、見逃さない。記憶力もすごい。
「生きていたってしょうがない」と言いながらの晩年だって、しっかり見逃していない。今風に言えば「ガン見」している。
これまでの人生、あらかたのことを見て見ぬフリして、あえて見逃しまくってきた私にとって、そんな佐野さんは尊敬と同時に畏怖の対象。とても怖い。
一昨年だったか、長嶋有さんがお店に連れて来てくれて、ご対面して舞い上がり、一緒に佐野さんのお友達のOさんちにまで連れて行ってもらったりしたけれど、そのあとの麻雀のお誘いはお断りしてしまった。
物理的に無理な理由もあったのだけど、一番は「怖さ」が原因だったかもしれない。
そのあと体調を悪くされてしまって。あのとき、怖いもの見たさでもう一歩近づけなかったことを後悔している。
今年は北軽井沢でお見かけできるかな....。