今日の時点ではこの場を借りて、お店とは関係なく、あくまで個人的な報告をします。
相方の実家方面について、ご連絡いただいたみなさん、ありがとうございました。
実家のある福島市飯野町周辺は、家が全壊するなどの大きな被害はなかった模様です。
ただもちろん揺れはひどく、水や電気などのライフラインには影響が出ています。
電話回線が不安定なため、まだ一度しか電話が繋がらず、断片的なことしか聞けていません。
それでも、家族、親戚の無事が確認できただけでも幸いなことです。
同時に起こった長野での地震について、こちらでもだいぶ揺れましたが、物が激しく落ちたりするようなこともありませんでした。
私たちの生活自体にはまったく影響はありません。
あわせてご心配くださった方々、ありがとうございました。
地震から3日目。
見えたり、聞こえてくるのは、恐ろしい被害の現実と、目に見えない不安な情報ばかり。
テレビで繰り返し観る津波の映像と、余震のたびにミシっと建物がきしむ音に、まだいちいち過敏に反応してしまいます。
福島は相方のふるさとであり、私自身もしばらく暮らしたことがあります。
相方は小さな頃から、亡くなった父に連れられ、相馬の浜辺で釣りをしていました。
彼は学生時代を仙台で過ごし、通っていた専門学校も当時のアパートも若林区にあり、画面でみる限り、そのあたり一帯も津波に飲込まれてしまったようです。
あんなところまで水がくるとは信じられない、とつぶやいていました。
当時の学校の先生から10年以上振りに連絡があり、先生はかつての生徒の安否をひとりひとり確認されているとのこと。海沿いに暮らしていたはずの数名とは連絡がつかないと仰っていたそうです。
私にとっての大切な知り合い(今となっては連絡の手段がないのですが)も、近くにいます。
今もまだ、何十万というひとが、家族や大切なひとの行方を案じ、ただ祈っていることを思うと、胸が潰されそうな思いです。
心細い思いをしているひとのところへ行きたくても、物を送りたくても、今はそれも叶わず。
ただ祈ることしかできないという事実に、呆然としています。
映像を見たり、情報を知ったりすればするほど、なんだか現実のことではないように思えて来てしまいます。
TVやtwitterから流れてくる情報に頭がパンクしそうになり、一度すべてを切って、外に出てみました。
何をしていいのかわからず、とにかく森のなかをやみくもに歩きながら、焚き付け用の小枝を拾いました。
こんなとき、小枝を拾い集めることしかなんて、なんて無力なのだろうと思いつつ。
オレンジ色の夕陽の向こうに、真っ白な浅間山がいつもより大きくデンと居座って、こちらを見おろしているようでした。
まだ頭のなかがうまく整理できていませんが、とにかく前を向いていかなければ。
私にできることが何なのか、少しずつ探していくつもりです。
まずはお知らせまで。
引き続き、みなさまも余震にはご注意ください。