なかなかブログが更新できず、ご心配をおかけしています。
1ヶ月も経てば、少しずつ気持ちにもゆとりができて、カフェのオープンとその後のことについても、自分自身でもわくわく楽しみながらお知らせができているものと思っていました。
そんな前向きな気持ちが自然に湧きあがってきたら、ここにもいろいろ書き留めよう...
そう思って「時」を待ちながら、一日、いちにち。。
とうとう1ヶ月の節目の日を迎えても、そんな気持ちを呼び起こしてくれる嬉しいニュースに出会うことはありませんでした。
それどころか、余震も相次ぎ、原発を巡る状況もなにひとつ好転せず、避難区域が広がり、レベルは引き上げられ、不安は募るばかりです。
とにかく今は、福島のことが気がかりでなりません。
事故の当初、いくら深刻とはいってもそこまでは....と思っていた「そこ」に近づきつつあることを、もう認めないわけにはいかなくなっています。
野菜や家畜などの農業、漁業をはじめ、目の前の仕事を諦めなければいけないばかりか、住み慣れた家や町を離れろと、そしてそこには当分の間(この「当分」が差す期間をまだ誰も教えてはくれません)、またはもう二度と戻ることはできないかもしれないよ、と、誰かが囁くような曖昧な声で伝えています。
これを自分の身に置き換えてみたら...? 頭のなかは真っ白になります。
そんな、今まで考えてもみなかったことが、特定の地域の人の身に迫っています。
それも遠い海の向こうの話ではなく、私たちのいる場所からほんの目と鼻の先にある場所で、です。
その現実と、多少の余震はあっても普段と何も変わらない自分の暮らしとのズレに、どう説明をつけて、納得すればよいのか。
自分で自分を収めてやることができずに、出来の悪い操り人形みたいに、頭と体がバラバラに揺れ続ける毎日です。
天災と人災。
地震や津波などの自然災害は、一瞬にしてたくさんの命や日常を奪い取ります。
それはとても抗いようのない恐ろしい力で、その前では為す術もなく立ち尽くすしかありません。
ただ、その最悪の一瞬のあとは、ほんの一歩一歩ずつだとしても、人々はそれを乗り越え、復興を遂げてきました。これまでのいくつかの大きな災害の後も。
それに対して、今回の原発の事故は、時間が経てば経つほど事態は悪化し、「最悪の一瞬」はもしかしたらまだこの先にあるのかもしれないという逆の道筋を辿っています。
被害というものが今は目に見えないだけに、様々な情報が飛び交い、錯綜し、何が正しいのか、何を信じたらいいのか分からぬまま、一部の人の安らかな暮らしが奪われようとしています。
この、どうにも諦めきれない、踏ん切りもつけられない、歯切れの悪さ、苦々しさというものが、天災とは違う、人が人の手で起こしてしまったことの醜さを象徴しているかのようです。
どうしてこれが福島で起きなければならなかったのか。
そんな、考えても答えの出ないことを、それでも考えずにはいられません。
前にも書いたとおり、相方の実家は福島にあります。
昨日発表された「計画的避難区域」は、すぐ隣町にまで迫っています。
私自身も福島市に3年足らず暮らしていました。
東京から移り住んだ当時は正直、何もない退屈な町だなぁと(20代半ばだった私は)思ったのですが、やがてそこを離れる頃には、山・海・川といった自然の風景、のんびりした時間、遠慮がちで優しい気質の人々、美味しいフルーツなどの恵み、お気に入りだった温泉...など、気がつけば自然と馴染み、愛着は深くなっていました。
周りの人に「なんか違う」と笑われながらも、自分ではその気になって使っていた独特のイントネーションや言い回し(方言)。テレビから、その聞き馴染みのある言葉が聴こえてくるたびに、忘れかけていたスイッチが入ったように、キュッと切なくなります。
家族や親戚だけでなく、当時お世話になった人たち、仲良くなって今でもやりとりを続けている友人たちがたくさんいます。
同世代の友人は、ほとんど小さな子供を抱えています。
今では連絡が取れなくなっているけれど、当時、いちばん私の身近にいてくれた大切な人も、近々出産を控えていることを先日知ったばかり。
みんな、それぞれの仕事、それぞれの生活を、当たり前に、地道に、一生懸命に生きています。
そうした人たちの身に、地震の直接の被害がなくほっとしたのも束の間、得体の知れない黒い影が迫っていて、誰も、どうすることもできず、見守る(というより見放す)ことしかできないなんて。
日本の原風景のような懐かしさを憶える素朴で美しい風景が、「汚染地域」と呼ばれ、赤や黄色に塗られた地図とともに、世界中の人に恐怖と哀れみの対象の地としてずっと記憶されていくなんて。
どうして福島の人がそんな重荷を背負わなければいけないのか。
30数年、安穏と生きてきた私にとって、こんなに理不尽で、腹立たしく、悔しくて、悲しい思いを経験したのは、初めてです。
原発のこと、放射能のことについては、私自身まだまだわかっていないことばかりです。
とはいえもう、知らない、よく分からない、では済まされない世界をこれから生きていかなくてはなりません。
この問題の不思議なことは、誰も「100%正しいことを教えてくれない」ことです。
専門家と言われる人たちの言葉もあやふやですし、政府や電力会社の混乱ぶりを見ても、関わっている人たち自身がこれから何がどうなるのか、把握できていないように思えます。
壊れたときにろくに修復もできないほどの、自分たちの手に負えないものに、どうしてこんなに過信して、頼り切って、依存してきてしまったのか。
その問題については、国や電力会社に責任を押し付けるだけではなく、私たち一人ひとりが今ここで真剣に向き合ってみなければいけないと思います。
よく聞かれる「賛成か、反対か」という質問は、愚問です。
たった一人のものでも、その命や、日常のごく普通の穏やかな暮らしが損なわれるかもしれないリスクの上に成り立っている存在を、大多数の利益のためなら犠牲も仕方のないもの...などと認めてしまってはいけないからです。
明日目覚めて、いつものようにラジオをつけたら、「一気に事態は収束し、放射性物質の拡散ももうありません、大変お騒がせいたしました」というニュースが聞けたらいいのに...などと、現実逃避したい思いでいっぱいです。
でもそうはいかない現実が、明日も、一週間後も、一ヶ月後も、続くことでしょう。
まずはその現実から目を背けないこと。
その上で、身の回りの大切な人たちを、そして自分を、どう守って、どう行動していくか。
迷い、模索しながら、考え続けていかねばと思っています。
(主観的な、重苦しい内容で失礼しました。次回の更新では、お店の予定についてお知らせしたいと思います。)