台所のお鍋から、くつくつくつ...という音が響く夜。
今年収穫した花豆のはじきにされてしまうものを頂いてきて、甘く煮ているところ。
ここ数日の農園でのお仕事は、花豆の選別、一色!
秋の初めに収穫した豆は、さやごとしばらく乾燥させ、そのあとひとつひとつ手作業でさやを剥き、ざっと“とうみ”にかける。
最後に、またひとつひとつ手作業で、A品、B品、はじき(自家用)などに分けていく。
大きなお米の袋に何十とある豆を選別する作業は、数人でやっても数週間かかってしまい、これだけの手間がかかるのだもの、町で売られている花豆がお値段が張ってしまう理由も、携わってみて納得。
そして、基本的には農園のお母さんをはじめ、オンナだけで、手際よく手と口を動かしながら和やかにおこなうこの作業が、北軽井沢での農園仕事の〆の儀式のようなものでもあります。
暖かい気候続きで、いつもの年より長く穫れていた葉ものも、いよいよ店じまい。
4月上旬から始まる私たちのお手伝いも、今年もあと数日を残すのみとなりました。
今年はどの野菜がよく穫れた、どれが不作だった...という話題は、例年と変わらず。
ただ、今年に限っては、そうした会話の端々に、噛んでも噛んでもうまく飲込めない何かが喉の奥に引っかかっているような「・・・」という宙ぶらりんな空白がひっかかる。
黙り込むだけではなく、きちんと言葉でも伝え合います。
それでも最後には「このさきはどうなっちゃうんだろうねぇ...」という、答えのないつぶやきがぼつりと。
今季も1年、種を蒔き、苗を植え、雑草を抜き、早朝から収穫し、梱包し、出荷まで。
暑い日は汗にまみれ、雨の日はびしょ濡れになりながら、みんなで手分けをしてがんばってきた約8ヶ月。
見かけ上はいつもと変わらぬ日々でしたが、その影には今まで感じたことのない不安やもやもやとした思いがつきまとう。特に園主のご家族の心配や苦労は計り知れません。
もちろん、然るべき検査を受け、大気にも、土にも、野菜そのものにも異常がないことを見極めた上で、出荷をしてきました。(だから私たちも安心して店で使わせて頂くことができました。)
ただ、問題はいまだ解決されていないこと。
そして、去年まで同じように苦しくも楽しい汗をかいて畑を育ててきたひとのなかに、今年は突然その「いつも」が奪われてしまったひとがいる。
そんなことが頭をよぎるたび、つと、足が止まってしまうような、そんな瞬間が幾度もありました。
おおきな大地やおてんとうさまの力を借りて、ちいさな人間は頭も目も手も腰も足もカラダの全部を使って地べたに立って、嘘のない土から出てきた、嘘のないありのままのものを、シンプルに届ける。
そんな「まっとう」なところが、私にとって農業をお手伝いすることの魅力でした。
その当たり前の「まっとうさ」が、目には見えない、得体のしれないものに、侵され、揺るがされようとしていることに、あらためて苦々しい思いが湧き上がってきます。
でも。
当たり前が当たり前じゃないんだとわかった今だからこそ、もう一度、自分たちでも、農のこと、食のことについて、見直してみる機会なのだとも思います。
放射能を恐れることも当然大事なことですが、それ以外のことでも、私たちには、知ろうとしなかったり、見て見ぬふりをしたり、ないがしろにしてきてしまったことが、たくさんあるはず...。
.....
まとまりも結論もない文章を書いている間に、豆も煮え上がりました。
はじけたり、皮に皺が寄ってしまったような、ハジキもんたちでも、十分ふっくら、美味しそう!
このままお鍋で味をなじませたあと、一部はフードプロセッサーにかけて、ペースト状にしてみるつもり。
さらに、その花豆餡であんパンを焼こうと企てています。
うまく焼けたら、農園のみんなにも届けよう。
楽しみ、楽しみ。