ただいま、皆既月食の真っ最中。
予報(?)どおり、10時前に欠け始めた月は、少しずつ半分、、三日月くらい、、と姿を変え、11時過ぎに最後の光の筋が消え、赤い、ぼわっとした、火の玉のようになりました。
ちょうど頭上、真上くらいの位置にあるため、部屋の中からは見えなくて、10分おきくらいにおもてに出て、じっと見て、の繰り返し。
夜になって風が強くなり、時々嵐みたいに吹き荒れるなか、おかげで雲は吹き飛ばされて、月光が弱まるにつれ、まわりの星がぐんぐん輝きだして、途中、流れ星もいくつも流れました。
月明かりに照らされていた雪野原も、目に見える速度で暗くなって、だんだん真っ暗闇に。
月食を、こんなにはっきりと、手に取るように、肉眼で眺め続けたのは、初めてのことかも。
美しいような、怖いような、不思議な夜でした。
今はtwitterというツールもあるので、あちらでも、こちらでも、たくさんの人が、同じ月を見上げているのがわかりました。
東京でも、北海道でも、九州でも、福島でも、海外でも。
みんなきっと、上を見て、口をぽかんと開けて、子どもみたいな顔をして、眺めていたに違いない。
太陽と、地球と、月が、縦に並んでしまうから起こること。
理屈ではそうわかっていても、実際に目の当たりにすると、神秘的な思いのほうが勝ってしまう。
恐れることはないにしろ、なんの予備知識もなくびっくりしていた昔の人たちと、感じる気持ちは大差ないのではないかしら。
もうすでにあの星の上に降り立った人がいたり、すぐ近くまで宇宙船が行き来しているこの時代になったって、やっぱり月は、星は、手の届かない遠くにあって、だからこそ神秘的だし、きれいだなあと純粋に感動する。
この月食をCGで再現することはできても、所詮、人間には、星の位置を無理矢理並べ替えることはできません。
この先、何百年、何千年が過ぎても、それはできないことでしょう。
だけど、できないことがあっていい。
不可能なことがあっていい。
なんでも出来るようにならなくっていい。
月は遠くて、月食は神秘的で、それを見上げる人間はこんなにもちっぽけで、宇宙の隅っこにチリ屑のようにぼんやり漂っていて、宇宙の法則、自然の原理には、どうにもこうにもかなわなくって。
自然が憎いと言ってみたり、今度はきれいだと感心してみたり。
そんなままで、いい。
そんなちっぽけのままが、断然、数倍、愛おしい。
日付をまたいで、光が少しずつ戻ってきました。
と、同時に、9ヶ月目の日。
じたばたもがき続ける私たちに、一年のおしまいに、ぽっかり童心に帰る一瞬をくれた月。
その懐の深さ、憎いまでの演出。
人間ごときが、とうてい叶うものではありません。。。
以上、興奮冷めやらぬ、赤い月の夜の、ひとりごと。でした。