去年の3月11日は、当初その1週間後に予定していた「出張キジブックス」の打ち合わせなどのため、松本にいました。
tonico で、「じゃあ来週ね、楽しみね!」と手を振って別れたその数分後、松本でもだいぶ大きな揺れに出合ったのでした。
計画停電や、燃料不足、もちろん気持ちの問題もあって、中止を決めた企画展。
一年を経て、ようやくぐるりとスタート地点に戻ってくることができました。
なんの進化もない、と言ってしまえば、そうなのかもしれません。
小さなカフェをしていること。本を売ること。そんなことに意味があるのかしら、と思った時期もありました。
被災して、いまなお辛い日々を過ごしている人たちに対して、この一年、直接的にできたことなんて、ほとんど何もありません。
それでも、今は、仲間や友人たちと、ごくごく小さな世界のなかだけれど、自分たちの持ち寄れる範囲のささやかなものを持ち寄って、毎日のなかに、それがあることで幸せな気持ちになれるもの、まだ見ぬ世界を想像してわくわくできるものなどを、手から手へ、どなたかに提供することができる.....そのことが、嬉しくてなりません。
去年と、今年。はっきり大きく違っているのは、「したいことができる」という、当たり前のように見えて当たり前ではない、今ある環境への感謝の気持ち。
一緒に笑い合い、支え合える友だちや家族がいることへの感謝の気持ち。
まだ見ぬ人との新しい出会いを、明日を、楽しみにできることへの感謝の気持ち。
リセットしての開催となる今度の企画「やどり木からみえるもの」についても、またその先に待っている今季のカフェ営業についても、そうした感謝の気持ちをひっそりと噛みしめながら、楽しく、後悔のないよう、行ないたいな、と、あらためて思う、今日、なのでした。
と、前置きが長くなってしまいましたが。。。
いよいよ準備も佳境に入り、本の山のなかでごそごそ埋もれているキジたろうから、今日もお手紙があるようですよ!
やどり木つうしん vol.05 【キジたろう→トニ子】
トニ子ちゃん、こんにちは。お返事ありがとう。
パリの写真も、どれもステキでうっとりしちゃった!
「純度」のはなしも、なるほどな〜と思いました。
旅にしろ、そうでないものにしろ、感動したり、強い影響を受けたりしても、それをただコトバで「よかった」「感動した」とか書いたりする以外、表現の手段を持っていないのはとてももどかしい。
絵や、音楽や、工芸や、別のカタチに残るもので置き換えられるひとは、ボクも心から羨ましく思います。
羨ましいといえば、ボクはぶきっちょだから、手を動かして何かを作り出す行為自体に、憧れるんだ。
たとえば「手芸」とかね。
縫いもの、編みもの、刺繍...、どれも齧ってみたけど長続きしない。。
初めは勢いよく勇んで取りかかるんだけどね、途中から思い描いたものとズレてきちゃうと、もうダメなの。えーん、と思って投げ出しちゃう。
根気の問題? うーん、やっぱりセンスかな。
(と言いつつ、この冬は小さな機を使った織り物に手を出してしまったのだけど!)
苦手なのだけど、憧れがあるものだから、その手の本はやっぱり好きで、つい集めてしまうの。
今回も、チクチク、手芸に関する本は、ちらほら持っていくよ。
海外の手芸本は、装丁もかわいらしくて好き。
日本のでも、雄鶏社とか、ヴォーグ社とか、昔、母親の本棚にあったなぁ、と懐かしくなったり。
「やどり木」では、kimi-noixさん、ようさん工房さん、柳澤友子さんの手芸作品も並ぶよね。
当日までボクもどんなものが揃うのか知らないから、楽しみでわくわくするなぁ!
とっておきの情報があったら、こっそり教えてね♪
余談だけど、「手芸」って、"手の芸"って書くんだね、、、今さらだけど。
人を喜ばせることができる「手」は、やっぱり素晴らしいなぁ。
ボクもいつかそんな「手」を持つことを夢みて、まずは本のなかでイメトレだ!
キジたろう