めったなことでは病院に行かない。
小さい頃から、家系的にそう。熱でも怪我でも少々のことは「気合いで直せ」風な育てられ方をした。
たまたま大病せずに来れただけかもしれないけど。
今でも、「風邪引いて、ちょっと点滴うけてきた」とか気軽に言う人がいると、ほぅ〜っと驚きと感嘆の眼差しで見つめてしまう。
そんな自分が来軽1年5ヶ月を経て、初めて軽井沢病院の敷居をまたいでしまった。
なんのことはない。数日前(365日の中で軽井沢がもっとも混み合う日)に、仕事で町内の別荘という別荘を細かく訪ねて回るという任務を与えられ、車ではにっちもさっちも動けず、張り切ってレンタサイクルをして4時間ほどこぎまくったせいで、右膝が肉離れを起こしたから。
昨夜走った激痛で、「これは絶対に骨に異常があるに違いない、骨肉腫の一種だったり・・・」と、散々騒いだ末、ここにきて初めて登場することになるカード型保険証を握りしめ、初診受付をしたのが朝10時前。
そこから、待つこと待つこと3時間。ようやく名前を呼ばれて診察室に入る頃には、もう頭が朦朧として、自分がなんでここに来たんだかもよく分からなくなっている。
それでも、ここまで待ったんだものっ、と、先生相手に必死に「こーして、こーしたりすると特に痛くて・・・」と派手な動きで主張するも、お昼休み前に軽症者はさっさと片付けてしまいたい(怒られるかしら?)先生は、冷ややかな笑いと共に「要するに筋肉痛だよね」(要しすぎだ!もっともったいぶってくれっ)の一言で、さっさとくるりと背を向ける。賞味3分。
「湿布だけでもつけとこうか〜」という言葉を背に、うなだれて退室する私。
痛いのに。びっこひいちゃうくらい痛いのに・・・。
看護婦さんの「お大事に〜」の声も、どこか嘲笑めいて聞こえる。(自虐的すぎ?)
やっぱり病院なんて嫌いだ。
それでも、普段行き慣れない場所なだけに、いろんな面白いものが見えてくる。
たとえば、今日、整形外科にて人生の一瞬を共にした人たちは下記のとおり。
*自分より少し若いおばさんを道連れにした、たいしてどこも悪くなさそうなおばあちゃんA。
「○○さんたら、1万円の金券渡したのに、礼状のひとつもないんだよ」と繰り返し話す。
*いまどき珍しいくらいはっきりとした七三分けのサラリーマンB。
「昨日はしこたま飲んでしまい、どうもトイレで、こう、倒れてしまったようなんですね、記憶はないんですけども。こう、脇腹を打ったようで、僕的には肋骨がいってしまったんじゃないかと・・・」と臆面もなく美人看護婦に滔々と訴える。
*病人という特権を振りかざし、順番について延々とクレームをつける一見ロマンスグレー風のおじさんC。忙しいナースを優に20分は捕まえていた。同じトーンでいつまでもねちねちするところが許せない。第一、半ズボンに白いソックスに黒い革靴という格好の時点で、クレームを述べる権利ナシっ。
*肘から腕から顔面から、すべてに既に派手な包帯やバンドエイドを付けたヤンキー風の青年D。「理由は?バイクの事故かなにか?」と問いただされ、モゴモゴごまかすので、「それじゃあわからないでしょっ」と怒られている。
これら諸々のメンバーと一緒に、2時間を超える時間を同じ場所で過ごしていると、(心理学者によるテストじゃないけど)ある不思議な連帯感が生まれてくる。
本を読む以外にすることもないという点から見れば、それは長い船旅にも似ているかもしれない。
そこに今日、折しも訪れた「タイタニック」の沈没、ならぬ、震度3の地震!
「あら、揺れてるわよね」とさすがに鋭いのは、おばあちゃんA。
テレビの速報を見て、私が思わず「あ、主人の実家の方です」と言うと、「それは心配だわ、ねえ」と連れに同意を求める。
「結構、揺れたな」というサラリーマンBの独り言に、青年Dも、無愛想ながら「そうっすね」と答えている。
最後の最後までコトに気づかずにいたのがおじさんC。臨時ニュースの画面を眺め「地震なんてあったか?」と大声。当然、誰にも相手にされない。ざまあみろ。
自分の「一人騒ぎ」を棚に上げ、今日出会った人々を、きっと、三谷幸喜なら、ちょっと面白おかしい短編劇にしてくれるんじゃないかな、などと思い返しながら、ブログとしてはすっかり長編になってしまった私の病院体験記、でした。
「麦、風呂場にて。」
写真は本文とは一切関係がありません。