今日の夕方、仕事中に、この訃報を知りました。
数週間前、長野市の古書市で、朝吹さんの訳書ではなく著書となる「愛のむこう側」を手にして、読みかけていた最中だっただけに、また、まさに今日、手がけていた原稿の準備のために、万平ホテルの会長が「先日も朝吹さんに来て頂いて・・・」と話すくだりをテープ起こししていた最中だっただけに、驚きました。
他の多くの女性(に限りませんが)がそうであったように、私も、朝吹さんの描く「フランス」を読み、「フランス」を知り、「フランス」の地を踏んだひとり。
私の出会った「フランス」は、朝吹さんが著した世界とは、だいぶかけなはれた、エレガントさに欠ける所ではあったけれど、今でも、やはり、私にとってのかの国は、彼女を通じて見えたものに、他なりません。
15歳の頃に開いた1冊の本__サガンの「悲しみよこんにちは」が、その後の私に与えた影響は大きいものでした。
朝吹さんと軽井沢も、切っても切れない関係。
まだお元気であった数年前なら、街のあちこちで矍鑠とした姿を見られることが出来たそうです。
いつかお会いできる機会もあるのかしら__実際、お会いしても、きっとなんと話しかけてよいものか解りませんでしたが__と秘かに思っていただけに、時代の隔たりが悔やまれるばかり。
彼女の死と共に、確実に、目には見えない、以前の軽井沢が持っていた気品のようなもの、その気配のようなものが、とうとう最後に消えてなくなってしまうのだろうな、という気がします。
「彼女は日本から見たフランスであると同時にフランスから見た日本なのである。これこそが彼女の独得の魅力であり、優美さなのだ」
朝吹さんの本の刊行の際に、サルトルから寄せられた言葉。
ご冥福をお祈りします。