2012年度のカフェの営業が終わりました。
今季も7ヶ月間、たくさんのご来店、ありがとうございます。
6年目のシーズンもなんとか無事に終えられたことに、今はただホッとしています。
振り返ってみて、特に大きく目立って躍進・飛躍した一年ということでもないのですが、個人的には、うっすらとですが、確かな手応えのようなものを、もう一度感じられたシーズンになりました。
昨年1年が、ざわざわした気持ちのもって行き場がわからないまま、そこに私的な事情からくる感情の渦巻きも加わったりして、どうにもオロオロしたまま過ごしてしまったことから較べると、少しは地面に足のついている感覚が戻って来た、という感じです。
自分のなかでのいちばんの変化といえば、これまで、広く、広く、もっと遠くに伸ばしたい、と思ってきた視点の向け先を、逆に、近く、近く、この足元の地面を掘って掘って、その先にあるものを見てみたい、と思えたことかもしれません。
それは「内に閉じ篭る」というネガティブな感じではなくて、固い地面を耕してどんどんふかふかにして、土のよい匂いが立ち上がってくるような明るいイメージのものです。
もちろん、お店の看板を通して、リアルな世界やSNSなどのツールなどで、自分自身は行ったことのない(今後も行けるかどうかわからない)遠いところまで声が届いて、反応が来たりすることも、それはそれで楽しい驚きの世界なのですが、そうしたときにも、自分の足場に自信が持てなかったり、ぐらぐらと心もとないままでは、その先に繋がるものや得るものもないように思えるのです。
この気持ちは、はたちそこそこでフランスに行ったとき、フランス語という言語はなんとか操れても、自分自身のことや日本という国について尋ねられたときに「自分が語るべき言葉」を持っていない、ということに気づいて衝撃を受けたときの感覚にも似ているかもしれません。
北軽井沢に移り住んで8年。
季節の巡り方や、風土や、こちらに暮らす人とのお付合いにも少しずつ慣れて、初めの頃のような新鮮な驚きが薄れ、なんとなく“知ったような”気持ちになり始めていたここ数年。
でも、今年の春から夏にかけてくらいの頃から、なんとなくムズムズと、あらためてこの場所への興味や謎や、もっともっと知りたいし知らなければという好奇心や使命感みたいなものがフツフツしはじめたのです。
きっかけには震災のことがあるのかもしれないし、それがなくても湧いてきたものなのかは、自分でも判然とはしていません。
暮らす場所への愛憎の感情(「憎」とまではいかなくとも慢性や惰性など)は、周期的なものかもしれないし、またはかっこよく無理矢理こじつければ、8年という期間を経てようやく少しこの地に根を張ることができて、「語れる資格」のようなものを持つことができた、と言えるのかもしれません。
...と偉そうに書いていますが、「語るべき言葉」探しはまだまだこれから。
今年は、そのことに色々な機会を通じて気づくことができて、ゆっくり舵を切り始めただけにすぎません。
でも、たしかに、明るく、広々した方角に向けて、舵を切れた実感はあります。
これからの静かな5ヶ月の間、ゆるやかに「外」とも繋がりながら、じっくりと「内」なるものを見つめ、声に耳を澄ましてみたいと思っています。
そのためには、この場所特有の、荒々しく野生のままの厳しい冬の時間はうってつけなのですから。
物語を語りたい。
そこに人が存在する、その大地の由来を。
(梨木香歩「ぐるりのこと」/物語を)
いつも私の指標となることば。
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閉店から一夜明けて、朝から静かな雨の一日。
もうすぐこの「雨音」も聴けなくなってしまうから、今日はBGMも無しにして、今のうちにたっぷりと聴いておくことにしよう。