今年も、今日をいれてあと3日。
早いなあと思うけれど、寒さの度合いでいけばもうとっくに1月から2月のピーク並みなので、これでまだ年内なのか...と、別の意味でもびっくり。
11月後半からぐっと冷えて、そのままほとんど緩むことなく、ひたすらに寒い、寒い、寒い、12月。
今日はマイナス10℃、いやいや今日はさらに15℃、と、実況報告する新鮮さと張り合いも、徐々に無くなりつつあります。。
今朝は、この冬いちばんの雪の量。うちのまわりで膝上くらい。
さくさく軽いので、雪かきはとてもラク。
降るときは同じように見える雪なのに、ずしっと漬物石のように重いのや、今日みたいに吹けば飛んでしまいそうに軽いのや、いろいろでいつも不思議だ。
気温が上がれば融けてくれそうだけど、それでも日陰は根雪になるので、今のうちに除けておく。
12月からは、週に2〜3度、取材や所用で出かける以外は、ほとんど自宅に(言葉どおり)引きこもる毎日。
小屋にひとり籠って、パソコンに向かう時間が多かった。
聞こえるのは、どこか遠くでチェーンソーで木を切る音か、一日に数度、シャリシャリシャリと走っていくトラックの音くらい。
窓の向こうに、晴れた日にはくっきりと白く怖いくらい近い浅間山。
雪の日には、空も地面も畑も森も、境がなくなった真っ白けの眺め。
お昼を過ぎて、3時くらいには日も翳り、冷たい風が吹き始めるので、ハッと追われるように慌ててダウンを着込み、百々の散歩へ。
散歩の途中も、もちろん人っこひとり出くわさない。
人かげ?と振り向くと、ノラ猫が退屈しのぎに私たちの後を追いかけてきただけ。
(ついこの間は、トラックで通り過ぎたおじちゃんに、「なんだい、犬だけでなく猫も散歩させてんのかい」と笑われてしまいました。)
大小数匹従えて、ざくざく、ツルツル、と2キロほど歩いて戻ってくれば、もう太陽は山の向こう。
黒々とした林のシルエットが浮かび上がったと思ったら、数分後にはもうすべてが真っ暗闇のなかに沈んでしまう。
時間が止ったようにも感じるのに、冬の一日はかえって早くて、今日はなにも手につかなかったなあ、とぼんやりしてしまう日もある。
カフェの営業が終わり、仕事のスタイルも変えて、賑やかだった毎日から急に静かな隠遁生活に切り替わったので、お尻の落ち着く場所が見つからずに、ふわふわと過ごしてしまった。
おまけに、凍り付きそうな寒さは、ひとの寂しがりなところにぐいぐいつけこんでくる。
夏の間忙しく、外からくる人の往来も賑やかなときには気にしたりもしない些細なことに、敏感に反応して落ち込んだり、正体のない不安にとりつかれたり、焦って空回りしたりしてしまった。
ぜんぶが寒さのせいではないけれど、唯一の取り柄といってもいい「まあまあのんびり愉しく。どうにかなるさ!」という楽観エネルギーが、寒さのなかだとうまく働かなくなるものらしい。
珍しく「孤独だなあ...」なんて、独り言まで飛び出した。
でもこの「孤独だなあという感じ」に襲われることも、時には経験しておいて損はない。
ほんとは誰だって、どこに住んでいたって、みんな孤独であることに変わりはないのだけど、賑やかで、気候も温暖なところにいられれば、目を背けたり、誤摩化したり、ちょっと横に置いといて...ということができる。
そうはしないで、「孤独な感じ」(※あくまでも"感じ"です。本当の孤独を知るにはまだまだ鍛練が必要なはずなので。)の、そのじわっとした重さや、ちょっとざらざらした手触りのまんまを両手に抱えて、きゅうきゅうと凍てつく雪原の真ん中に、ひとりで(寂しければまあ犬くらいは連れて、)しばらく立ち尽くしてみることも、大事かもしれないなと思う。
それで人間の厚みが増すかどうかの確証はありませんが、少なくとも、自分ひとり分の本来のサイズ(妙に大きく膨らませて見せたり、卑下して小さく見せ過ぎることもない、適正なサイズ)をたしかめることができる。
小さくてひ弱な生き物のひとつとして、吹雪を恐れたり、春を待ちわびたりしながら、グズグズと、それでもしぶとく逞しく、日々を過ごしていくしかないんだよなあ、という覚悟のようなものがじんわりと。
サボりずきのくせに、どこかにワーカホリックな性分も残っているものだから、夏の間あんなに欲しかったこの「余白」の時間を持て余してしまう。
だけど、今年の12月の「どーんっ」ときた寒さで、平地のように気候に構わず働いたり遊んだりすることがここでは難しいんだってことを、冬のしょっぱなから思い出すことができた。
ここでは、自分の都合や勝手は通らない。
おてんとさまの顔色をうかがいながら、夏とは違うペースで、ギアを数段落として進んでいくしかない。
車のタイヤの履き替えは忘れないのに、こっちの気持ちの切り替えのタイミングややり方を、毎年、春から秋の間に、すっかり忘れてしまう。
ただ、そうと思い出せば、少しは楽。
残りの数ヶ月、お墨付きをもらった気分で(単なる言い訳かしら?)、孤独な感じと隣り合わせに、どっぷり本を読んだり、書くことを楽しんだり、得意の妄想の世界で遊んでしまおう。
(そのまま風船の紐がちぎれて戻れなくなるところまではいかないように、時々は人に会い、下界の人たちとSNSをしたり、テレビも見たりしながら、ね。)
近頃の長い夜の楽しみが、先日東京で買って来た『冬の本』を読むこと。
熱燗を"ちびちびやる"ように、コタツに潜り込んでじりじり読むのにぴったりの本。
軽い冬もあれば、じっとりと重たい冬もある。冬も本もさまざま。
例によって妄想で、「私がもし選者のひとりだったら、あの本にするだろう」と決めていた一冊が、後半、写真家ホンマタカシさんのお薦めとして登場して、悔しいような嬉しいような気持ちになる。
なんという本なのかは、この本を読んでたしかめてみてください。
深い深い(こんな場所とは比べ物にならないような)冬の森へとわけいっていく短編集。
あのお話のなかには、ほんとうの「孤独」がある。
この冬、もう一度、読んでみよう。
もう一冊は像刻の前川秀樹さんによる物語集「Zubre(ズフラ)」。次に読む本。
読みたい本が積もり積もって、雪崩がおきそう。
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「
キジブックス オンラインショップ」に、古本や紙雑貨を少しずつ追加しています。
特集「古い山の雑誌」コーナーも始まりました。
山に行けない季節は、机上での山登りを楽しんでみてください。
ジャケ買いで本棚のアクセントに飾ってみるのもおすすめです!
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しばらく放置していた
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