2月2日。
寒さの緩んだこの数日のなかでも、いちばんの暖かさ。
日陰の温度計でも+5℃以上を差していたから、日なたでは10℃を超えているだろう。
絶好のポジションを確保して、体を最大限伸ばして、余すところなく日光に晒そうとする猫たちにならって、自分の体にもしばらく日射しを当ててやる。
つむじがちりちりするほどの日射し。
足元に落ちる日溜まり。
猫たちの毛の暖かさ。
屋根の雪がぽたぽたと落ちる音。
気温もそうだけれど、太陽がつれてきてくれるこれら全部をひっくるめて、真空容器に閉込めておきたい。
それを、これからまだ何度もくじけそうになる寒波のなかで開いて味わいたい。
太陽に感謝しながらも、「ダメダメ、ここで油断は禁物」と、すぐにキュッと身構えてしまうのが、山暮らしの悲しい性...。
事実、明後日くらいからまたすごい寒波が降りてくるらしい。
風邪気味だったマイケル(手前の子)も、すっかり元気になり、ひと安心。
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今日、2月2日は、キリスト教の暦の「燈火節」(キャンドルマス)という日であることを、片山廣子のその名のついた随筆集で知ったのは、もうだいぶ前のこと。
キリスト教の「キャンドルマス」を調べると、イエスが生まれて40日目のマリアさまの清めの日を祝って、蠟燭を灯して行列し、豊穣を祈るのだとか。
それに加えて、片山廣子の書く「燈火節」には、もっと古い時代からゲールの民族が崇めた“火の女神”聖ブリジットの誕生日であり、冬眠から明けて春の到来を祝う日なのだとある。
それを読んで、ゲールの習わしとしての「燈火節」のほうが、私にはしっくりくるなあと思った。
日本の暦の春の始まりの日とほとんど時期が重なるというのも面白くて。
アイルランドでは、海上に海鳥がやってきて、地表に黄色いたんぽぽが咲き始めれば、それがブリジットが春を連れてやってきた徴(しるし)なのだそう。
アイルランドと日本の内陸では、気候も時期も違うだろうが、長くて暗い冬が明けるのを待ちわびる想いには共通のものがあると思う。
(数年前、アイルランドを初めて訪ねたときには、今よりひと月半ほど遅い頃だったから、もうすっかり水仙やチューリップや春の花が咲きそろっていて、ブリジットの足跡は見つけられなかったけれど。)
片山さんの「燈火節」を読んでからというもの、「立春」という勇ましい漢字に励みをもらうより一足早く、遠い西の果ての島の断崖に1羽の鳥が現れるのを、そこに暮らす人と一緒に見上げているような気持ちになる。
単なる想像の風景でしかないけれど、それはなんとも言えない仄明るい気持ちがする光景で、私たちの土地にも、もうひと月もしたら春の兆しが見えるに違いないと、少しだけ浮き立つような気分になれる。
明日で大寒も終わり。
季節は確実に進んでいるのだ。
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片山廣子『燈火節』(青空文庫)