上諏訪の冬の「
くらもと古本市」、始まっています。
私たちは初日に搬入を兼ねて伺いましたが、オープン早々、お客さまが次々とやってきていましたし、その後のご連絡でも、これまでの開催を上回る来場数だそうです。
今回から、会場となる蔵元が、真澄さんだけでなく近隣の5ヶ所に増えました。
その蔵元さんの店構えがひとつひとつ個性的で、そちらを訪ねるだけでも一見の価値あり、なのです。
(ふだん、よっぽどのお酒ずきでなければ、一軒ずつお邪魔する機会はないですものね。)
そして、いつもは使われていない2階の小屋裏のような部屋を、今回の展示に貸し出してくれたりしているので、なおさら貴重です。
主催のバリューブックスSさんたちが、それぞれの会場にぴったりの設えを用意されていて、たとえば「冬暮らしの山小屋」と題した「舞姫酒蔵」の2階は、木造・三角屋根のスペースが、スイスかどこかの山小屋の屋根裏部屋のような雰囲気で、そこに古道具や可愛らしい北欧雑貨などが並んでいます。
また、各蔵元さんでは、今年の新酒が出揃う時期。
気軽に試飲も奨めてくれますので、ドライバーさん以外には、もちろんそちらの楽しみも。
「なんで、酒屋に本があるんだい!」なんて難しいことを言わずに、諏訪湖や大社詣でとあわせて、ぶらっとドライブに、オススメです。
ここ数年、こうした新しいかたちの「古本市」が、全国で増えています。
これまでの古書市といえば、デパートの催事場などに、古めかしい茶色い本や“お宝”風の巻き物が並んで、おじちゃんたちがむっつりと品定めをしているイメージ。
それはそれで、掘出し物を見つけるのも面白く、ちょこちょこ覗いていましたが、初心者や若い人にはやっぱりちょっと近付きがたい雰囲気がありました。
この頃、増えているのは、普段なら本とは無縁の場所(今回の蔵元さん然り、町なかの商店街だったり、村の集会場のようなところだったり、都心の公園でフリマに近いスタイルだったり、果ては私たちの「ブックニック」のようにわざわざ標高1100mの山のど真ん中だったり!)で行なわれるもの。
それぞれの主催者には、「本」と「場所」とのミスマッチングを面白がってもらいたいという狙いもあるとは思いますが、でも単に奇抜さだけではない想いがそこにはあるような気がして。
単純に、「本と出会う場所」という間口を広げたい、そこから何が変わっていくのか見てみたい、という好奇心や可能性への期待感ではないかと思います。
新刊書店にランキング順に並ぶベストセラーと、骨董的な価値でやりとりされる希少な古書。
どちらも必要不可欠なものではあるけれど、その合間に埋もれる星の数ほどの本と、それを必要とする人とが巡り合うためには、「場所」は多ければ多いほど、開かれていればいるほどよいのではないかしら。
いらぬお節介といわれればそれまでかもしれませんが、古本屋の端くれとしてだけでなく、「本」というものにどうしようもない愛着を感じてしまう一個人として、そうした場所はもっともっと増えていってもよいと思います。
(身内だけで盛り上がっているようにさえ、ならなければ。)
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「本と出会う場所」といえば、このほど、高崎にも不思議なスペースができました。
そこは、なんて言ったらいいんだろう。
入口はごく普通の商店街の本屋さん。その2階。
正式な「古本屋」でもない、もちろん新刊書店の延長でもない。さっき書いたような期間限定の市でもない。
やっぱり、店主が名付けたとおりの呼び名がいちばんぴったりきます。
「suiran 作業場兼店舗」@天華堂書店2階。
友人、土屋くんが昨年秋から稼働させた、これまた一風変わった「本と出会う場所」です。
いつも開いているわけではありませんが、運良く店主がいれば、本も買えます。
ほとんど値段はついていないので、勇気を出して聞いてみなければいけませんが、その点、店主は(坊主ですけど)まったく穏やかな心優しい青年なので、怖がることはありません。
こんな、お店なんだか、倉庫なんだか、なんなんだか......という場所も、ひと昔前には誰も考えつかなかっただろうなあ。
だけど、それがどうした。
本が、手から手に渡るのに、どこそこでなければならぬ、という法はない。
むしろ、こんな摩訶不思議な場所にこそ、思わぬ出会いも待ち受けていたりするものだし、この手の冒険はネットを介してするのは難しい。
そう考えると、「本」というのは、やっぱり少し変わったシロモノだなと思います。
人によって価値がまったく違ってくる、というのは、ほかの商品にもいえることかもしれませんが、出会う場所やタイミングによっては、同じ人にとっても価値が違ってくることもある。
手に入れた場所の空気や、そこで交わした誰かとの言葉まで、その本に染み付いて、いつまでも手元に残せておける。
このことをいつもうまく伝えられないのだけれど、実体験として、そんな本と、そこにくっついてきた目に見えないモノとに、たしかに囲まれて生きてる私にとっては、やっぱりこれからも、そんな「場」や「機会」を、お節介なことだとわかっていながら、届ける側でい続けたいのだよなあ。
うーん、やはりうまく言えていませんが......。
(なに言ってるの?と思う方は、どうぞ読み飛ばしてください。。)