3月に入ったと思ったら、あっという間に10日以上も過ぎてしまいました。
3月といっても、まだまだ冷え込み厳しかったり、先週は20cmくらい雪も積もったり。
見渡す景色は相変わらず白一色。
一進一退というより、その場足踏みの状態で、春の兆しを探すにはまだ遠いのですが、昨日のように気温がぐんと緩むと、カチコチになった体がちょっとだけほぐれます。
昨日は、浅間山も春霞のなかにぼんやり。
融けた雪が、道路を川のように流れ、それが夜にまた凍ってトゲトゲのボコボコに。
今年は雪の量が多いので、これからあちこちで冠水して、池や沼ができそうです。
このままでは、GWの頃までびしゃびしゃの状態が残るのでは、と心配。
先月の大雪からまもなく1ヶ月。
いまだに会う人会う人「いやあ、大変だったねえ」という話になります。
お年寄りの方も、こんなのは見たことがないというので、ニュースなどで言われていたとおり、100年に1度(少なくとも7〜80年ぶり)の大雪だったよう。
たたでさえ短い2月、とにかく雪掻きなど雪の後処理に追われて終わった...と、みんなが口々に。
あの雪を前に感じたのは、ただもう、人間には“どうしようもない”ということ。
そう言ってしまっては身も蓋もないのですが、事実、目の前でもくもくと静かに、でもどこか凶暴さすら感じる勢いで降り続け、積もり重なっていく雪を前にしては、ほんとうに為す術なくぼーっと見ていることしかできませんでした。
ああなってみると、いつも我が物顔で好き勝手に行き来しているのも道具のおかげだし、その便利な道具も、非常時には使い物にならないことを痛感します。
ふだんから人の気配の少ない辺鄙なところに住んではいますが、身動きできずに閉込められた3日間は、それとは違う不安や孤独を初めて感じました。
「森のなかの静かな暮らし」を望んで実践しているくせに、たった数日で、「このまま置いてけぼりにされたらどうしよう」とドキドキしてしまうなんて。
ふだんの生活がいかに「自然な暮らし"ごっこ"」だったか。
山や、鳥や、野生動物たちに、笑われているような気がします。
自然の力が本気を出したら、人間なんてひと捻りで潰れてしまう。
規模や被害の大きさは違いますが、大震災のときにあれだけ感じて、ただそれも喉元過ぎて薄れてしまってきていたところに、身近な「雪」というサインで、「ほらほら」と思い出させてもらいました。
地震にしても、異常気象にしても、"○○年に一度"と言われるものがたびたびあって、なんだか「だったらもうどうにでもなれ」と投げ遣りな気持ちになってしまいそうですが、そういう訳にもいきません。
こうして、ふだんは自然の気持ちよいところばかりを享受して暮らしている立場ならなおさら、対照的な"不自由さ"や"怖さ"だって、同等に引き受けなくてはならない責任があるのではないかと。
引き受けるといっても、そんなカッコいいものではなくて、弱い立場ながら自分の身は自分で守る、という最低限のルールを見直すだけのことです。
今回のような雪でいえば、数日間ならジタバタしないでじっといていられるだけの食料や燃料の備えをしておくこと。
今回は、停電や断水にならなかったことがなにより幸運でしたが、今後も同じとは限りません。
寒冷地だからこその怖さである、真冬に電気や水がないという事態にも、(震災の被災地では事実そうなっていたのですし、)もう一度、対処法を改めてみなくてはいけません。
この場所に限っていえば、浅間の噴火に対しても、こちらは留まるか逃げるかの選択も含めて、備えが必要です。
ほかの野生の動物たちにはきっと、遺伝子や本能として備わっている危機察知能力のようなもの。
近頃の人間は急速にその力を失いつつある分、どうにか足りない頭を使って、学習していくしかないのだろうなあ。
呆れるほどに、忘れやすいのだけど、それでも。
大雪が過ぎて、震災から3年の日を迎えて。
14時46分に黙祷をしようというときに、無意識に、浅間山に向かって目を閉じていました。
近くにご先祖の仏壇もないわが家で、なにかに祈ろうとするときの対象が、今は自然と浅間山になってしまうのです。
津波と同じように、いつかこの山が火を噴いたら、私たちは命からがら逃げ出す立場にはいるのですが、そうだとしても、心の拠りどころであることには変わらない。
人間と自然の関係は、不思議なものだなあと感じます。