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【ご案内】
*5/16(土)17(日):
「敷島。本の森」ブックマルシェ に出張のため、実店舗はお休みです。
*5/27(水)28(木):
【 mugikoya WEEKDAY!! in MAY 】 平日の麦小舎に遊びに来ませんか?!
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毎朝、カーテンを開くたび、「いつの間にこんなに緑に?!」と驚いてしまう。
バカのひとつ憶えのように。
先週、まだ透かし見えていた木々の葉の間が、今週はもう緑色の重ね塗りに覆われている。
窓越しに浅間が覗けるのも、あともう少し。
庭では、チューリップ、水仙、ムスカリなどの球根花がそろそろ終わりに近づき、代わりに自生の(または自生から場所を移して増えつつある)山野草が咲き始めた。
スミレ、サクラソウ、イチリンソウ、イカリソウ、あと、いつも名前が覚えられない小さな黄色い花。
球根花は、春先、植物に恋い焦がれる時期の慰めになってくれるから、ありがたい。
でも、こうして野生の、この土地らしい可憐な野花が、また今年もひっそりと定位置に顔を出しているのを見つけるのは、またひと味違う喜びがある。
なかにはそこに咲くことをすっかり忘れていたりもするくせに、ようこそようこそ、この冬も乗り越えたんだねえ、えらいねえ、なんて声をかけたりして。
特に手を入れたり、花壇にして養生してやるわけでもなくても、たまたま条件よく根づいた野草の宿根草は、毎年ほんの少しずつ株が増えている。
できれば、平地でもどこでも咲く園芸花ではなく、こうした野草の花をもっともっと根づかせたい。
そう思っていた矢先に、ご近所さんが「近くのスーパーで配っていたから」と、何種類かの種をくれた。
そこでハタと、昨秋のブックニックで、八ヶ岳36チームから買い求めた「山野草いろいろ種セット」を大事に仕舞いこんでいたことも思い出す。
一気に手元に種が勢ぞろい!小袋を並べてみては、にやにや。
手のうちに「種がある」って、なんて幸せな気持ちがするんだろう!
この気分、当たっているかどうかは別として宝くじの券を握りしめているのと近いかもしれない。
ただ、いつまでも見つめてにやけていても仕方ない。
種は、蒔かなくては。
折悪しく、霜が降りるほど気温が下がる日があったり、台風が来るぞと言われたりで、様子を見る日がつづき、ようやく晴れ間が戻ってきたので、作戦実行。
じかに地面に蒔いてしまっては雑草に埋もれてしまいそうなので、手持ちの野菜苗用のトレーや、リサイクルのポッドを適当に使い、専用の土を敷いて、少しずつ種を蒔く。
はっきりこれは種だなと素人目にもわかるものから、ふわふわ綿毛のように飛び散ってしまいそうなもの、昆虫の糞かと思うほどミクロなものなど、形がいろいろなことにあらためて感心する。
そんなものをこれだけの数、丁寧に種取りしてくれた人がいるということにも。
ここまできてふと、それぞれに適切な蒔きどきというのがありそうなもんだ、(今回はだいたい夏から初秋に咲きそうなものを選んではみた)と気づいたけれど、まあ、いいや。
うまくタイミングが合ったひとだけ出てきてくれればいい。
(と言いながら、全滅するのは忍びないので、それぞれ種は少しずつ残しておく。)
さて、あとは、水やりしながら、日々気長に待つばかり。
ご近所さんによれば、芽が出たとしても、花が咲くのは3〜4年後のこともあるそうだから、ほんとうに気長な話だ。
それまでちゃんと待ちきれるのか、せっかちで忘れやすい自分にとってはかなりハードルが高い。
でも、苗で買ってきてポンと植え替えるのと違って、種からの栽培は、自分がスタートボタンを押し、生まれる瞬間から立ち合っていくところに、園芸、というより、実験的な愉しみがある。
種って、ずっとゼロの状態を保てて、土に入るなりヨーイドンができることが、今更ながらまったく不思議!
まだ、第2弾、3弾の種も待っている。
すでに蒔いたものも、時期を見計らっているものも、近頃はちまちまと、種のことばかり考えている。