冬になると、百々が夜鳴き(夜吠え)をする。
先月は特にひどくて、こちらも寝不足続きだったのだが、最近ようやく落ち着いてきて助かっている。
なにしろ、体が大きいと声もでかく、夜の静寂に響き渡る。
私たちが寝られないだけでなく、近所のひとにも申し訳ないので、気が気でない。
一度火がつくと、自分でも止められないようになって吠え続け、私たちがそばに行って、しばらくついていてやるとようやく落ち着く。
時にはそれで止まらないこともあって、一晩に何度も行き来することも。
深夜1時、2時。外は−15℃。
ぬくぬくの布団から這い出て、パジャマの上に何枚も重ねて、懐中電灯を持って外に出て行くのは、なかなかの苦行だ。
3往復するはめになった夜は、苛立ちと寒さで涙が出てきた。(それも瞬時に凍った。)
赤ちゃんの夜泣きの辛さが、すこしわかった気がする。
思わず本人(本犬)に当たりたくなるが、息も切れ切れになっている必死な姿を見ると、そうもいかずに、ただ撫でさすってやるしかできない。
さすりながら、自分もくっついて彼女から暖を取りながら、並んで見上げる夜空の星は凄まじかった。
深夜にわざわざ星を見に出ることはないので、ここまでの凄さであることを忘れていた。
月や星灯りだけで、周囲の雪野原は昼間のように明るい。
自分の家の庭なのに、まったく知らない場所に見える。
こんな世界を、百々はいつもひとり見ているのか。
ついていてやる、と書いたけれど、その夜の世界では完全に私のほうが部外者で、百々に庇護してもらう立場だった。
夜鳴きの原因は、去年は、毎晩のようにやってくるイノシシだった。
今年は、イノシシは現れていないようだが、かわりにキツネがよく来ていると近所の人も言っている。
寒すぎるせいかもと思って、去年はサンルームに寝床を移したりもしたし、今年もあれこれ暖めてやっているけれど、どうもそのせいでもないらしい。
暖かい夜でも吠えるし、極寒の夜にもわざわざ小屋の外で寝ているくらいだから。
やっぱり夜のケモノに反応しているようだ。
そこまで忠実に番犬してくれなくてもよいのだよ、と泣きながら伝えているが、そうは言われても本能なのだから、彼女にしても困るだろう。
寝ぼけながらヨロヨロと出ていく私には見えないものが、きっと彼女にはたくさん見えているのだ。
夜の百々には、昼間のだらしなく寝ている姿とはまったく別人(別犬)の、野性の「気」がみなぎっている。
数日前の夕方のひとり散歩中。
リードと首輪をつないでいるフックがはずれ、(寒さで凍ってうまく噛み合っていなかったようだ、)あ!と思う間に、百々が自由になって走り出した。
やばい、やばい。わたしでは、体重20キロ超えの彼女を捕まえることができない。
慌てて追いかけても、ふざけてもっと遠くに行ってしまうだろう。
なるべく動じていないように見せながら、「モモ!」と呼びかける。
20mくらい先まで一目散に走っていった彼女だが、ふっと、「あれ?なんでついてこないの?」という顔をして、トコトコとこちらに戻ってきた。
こういうところは、おっとりしているというか、少し抜けているというか。
おかげで、すっと首輪をつかんで、掛け直すことができた。
そのあとも、「なんか一瞬、身軽になったような気がするけど、気のせいっすかね」というような、いつものアヘアヘ顔に。
でも、私には見えていた。
あのフリーになって走り出した瞬間の、見たこともない嬉しそうな顔。
たくましく地面を蹴る脚力とバネの強さ。私なんてとても追いつけやしない加速のパワー。
ああ、いつも彼女は、本来出せるはずの能力を、何十分の一にも抑えて、私たちに無理やり付き合ってくれているのだな、ということに、あらためて気づかされた。
付き合ってあげているのは、人間ではなく、犬のほうなのだ。
たとえば、ボール遊びをしているときでも。
最近、テニスボールの両側に縄がついたオモチャで、綱引きをしてよく遊ぶ。
はじめはじゃれてブンブン振り回したりしているけれど、そのうち本気になって、ガルルとうなり声をあげて力を込めて引っ張り始めると、こっちは軽々ひっくり返されてしまう。
ボールを噛んでいる歯にしても、あのままこっちに噛みついてきたら、腕くらい貫通してしまいそうだし、100%の勢いでのしかかってこられたら、肋だって軽く折れる。
うちは、きちんと躾けをしてきましたとはお世辞にもいえないのだけど、それでも彼女はちゃんと知っている。
自分が本能を制御しなかったら、目の前の相手を傷つけてしまうことを。
だから、いくら感情がピークに高まっても、ピッとスイッチを入れ替える。
そんなことは、飼い犬として当然のことだし、彼らとて人間のそばで生きていくためのずる賢い知恵を覚えただけ、と言われたら、それはそうかもしれないけれど。
それでも、もしそのスイッチがなにかの拍子に狂って、彼らがかつての「野性」を思い出したら。
エラそうに飼い主ぶって、生物界の頂点にいるような顔をしている人間なんて、あっという間に滅ぼされてしまいそう。
つい先日も、ウィルスに冒されてゾンビになった人間が人間を襲いまくる映画をテレビで観たけれど、全世界の飼い犬たちを一斉に野性に返らせる方法があれば、そっちのほうがてっとり早い(?)かもしれないくらい。
もちろん、当たり前だけど、そんなことが起こればいいと思っているわけではなくて。
ただ、近頃のまたペットブームで、すっかり人間のおもちゃ化、被写体化にされて、人間の気分のままに買われたり、捨てられたりしている話を見聞きするたびに、本来、彼らが秘めているはずの「野性」を忘れすぎていることに、漠然と怖さも感じてしまう。
個としての強さでいえば、人間よりもずっと強いのに、なにも言わずに本性を抑えて、私たちに付き合ってくれている。
そのことも忘れて、まるで“上から目線”で、生き物界のリーダーのように振る舞っていることの恥ずかしさも。
百々にしても、今さら野に放たれたところで、どうにも生きていけやしないだろう。
でも、時おり見せてくれる「野性の名残り」のサインにだけは、こちらももう少し敏感でいようと思う。
Youtubeに載せられるような面白くて賢い芸当は覚えなくていいから、私たちにはもうすっかり手遅れで届かなくなってしまった野生の世界を覗かせてくれる窓口係を、すぐ隣で、あとしばらくの間、務めてくれたらありがたいな。
5回目の冬を一緒に過ごしながら、そんなことを考えている。