あちこち首を突っ込みすぎるのはよくないクセなのですが、そうやって動いてみたりしていると、ときどき思いもかけない幸運に巡りあいます。
4年に一度しかやってこない2月最後の日。
この日も、前日に起きたあるやりとりから、いつか叶ったらいいと思っていたことが、ポンっと目の前に転がり込んできました。

わが家の本棚にある手垢まみれのこの一冊。
ことあるごとに言っているかもしれないけれど、一巻目の『大きな森の小さな家』から始まるこのローラ・インガルス一家の物語は、わたしの宝物。
愛読版は、福音館書店から発行された、ガース・ウィリアムズの挿絵の入ったケース入りハードカバー。(初版は1972年。手元にあるものは1981年の第24刷。)
翻訳者は恩地三保子。
その後、出版社によって訳者は増えますが、『大きな森の〜』からシリーズ5巻目となる『農場の少年』までを、最初に通して訳されたのはこの恩地さんのはず。
その恩地三保子さんの夏の山荘が北軽井沢にあると何かで読んで知ったのは、移り住んで2年くらいの頃でした。
文学者が多く暮らした別荘地のことだから、驚くことではないかもしれませんが、わたしにとっては衝撃的なことでした。
だって、今のわたしの山小屋暮らしの原点ともいえる物語を生み出したひとも、まさかこの北軽井沢にゆかりがあったなんて!
勝手に運命的なものまで感じて、そのときも興奮しました。
ご本人はすでに1984年に他界されていることは知っていましたが、その後、山荘の場所も突き止め、こっそり覗きに行ったことも。(怪しい者でスミマセン。)
建物も、大きな三角屋根が特徴の、とてもすてきな木造建てです。
外壁に、キツツキが開けた穴がいくつも残ったままになっていました。
その当時はもう誰も使っていないように見えて、ただぼんやりと遠くから見つめて、心の中で「ローラを私たちに残してくださってありがとうございます」とセンチメンタルに呟いてみたりしただけ。
そうしてそのままになっていたのですが、この数年、ご家族(三保子さんの息子さんご夫妻)が再び山荘を使い始めていることを聞き、さらに知り合いの方を通じてお宅に伺うという機会が、唐突にやってきたのです。
ご家族の方から伺ったお話は、別の場で別の方が書かれる予定になっているので、ここで詳しくは書けませんが、お宅にお邪魔している間、ずっと胸がいっぱいでした。
わざわざ持参した本を見せて、宝物であることをたどたどしく伝えると、ご主人が、三保子さんが書斎として使っていた離れの一室まで案内してくれました。
畳敷きの和室。一面の壁いっぱいが本棚になっています。(端から端まで舐めるように眺めてしまいそうになるのを抑えるのに必死でした。)
緩やかな傾斜になった森を望む窓の前に、カウンター式に横に長い机があり、その下は掘りごたつになっています。
こうした造りは、建築のお仕事をされていた息子さん(今のご主人)が三保子さんのリクエストどおりに設えたものだそう。
初めて訪れてあまりにジロジロ見るのは不躾な気がして、ちらりと覗くだけに控えましたが、この書斎机をひと目見られただけでも、もう胸にこみ上げてくるものがありました。
ローラの物語を訳していた頃、実際にこちらに来てお仕事をされていたということは、ご主人がそう教えてくれました。
__ここで、三保子さんは、あの物語を、この北軽井沢の森を見ながら、一字一句、訳していったのだ!___
もちろん、150年近く前の、アメリカ北部、未開拓の大森林や大草原と、ここ浅間北麓では、スケールも自然の厳しさも桁違いであることはわかっています。
それでもやはり、窓から見える森や、近くに湖や川や草原に恵まれたこの場所があったからこそ、そしてご本人も好きだったからこそ、あの生き生きと力強いことばや文章が生まれたに違いない……
思い込みが暴走して、勝手な妄想を膨らませすぎかもしれませんが、でも少なくともまったく無関係ということはあり得ません。
その証拠に、「お話に出て来る鍬とか鋤とか、農機具のイメージがよくわからないからって、ここの近くの農家さんに話を聞いたりしていましたよ」とご主人。
やっぱり!やっぱり!!
北軽井沢という土地のエッセンスが、あの物語のなかに散りばめられていたのです!!
なんということ!!!
以来、いまだに興奮さめやらず……
わたしにとっては、ニュートリノがどうのというよりも、過去と今が繋がった世紀の大発見レベルの感動なのですが、どうもこの歓びは、ごく私的で個人的すぎるようで、誰とも共有できず、ひとり、フンフンっ、と鼻息を吹かせるばかり。
頭を冷やしつつ、宝物がさらに大きな宝物になったことを、胸の中の朧げな10歳の頃のわたしとしみじみ噛みしめようと、久しぶりにローラシリーズを静かに読み返してみることにしました。
ローラは思うのでした。「これが『いま』なのね」
ローラは、この住みごこちのいい家も、とうさんも、かあさんも、暖炉のあかりも、音楽も、みんな「いま」でよかったな、と思うのでした。何もかもわすれっこない、だって、「いま」は「いま」なんだもの__ローラは思います。それは、「ずっとむかし」になんか、なりはしないのだから、と。
小さなローラがそう感じた「いま」も、おばあちゃんになった作者のローラがこの文章を書いた「いま」も、三保子さんがこの文章を日本語に起した「いま」も、10歳のわたしが初めてこれを読んだ「いま」も、そして、30年後にあらためてこの物語をすぐ身近なものとして楽しめる今の「いま」も。
遠く離れているようで、実のところは、ぐるっと回って同じ一本の線の上にあるだけなのかもしれません。
一度書かれ、訳されたなら、いつまでも誰かの「いま」として残り続ける。
物語って、いいものですね。
同じ日の夕暮れ。
4年に1度のぽっかりと浮いたような日は、やっぱり不思議な一日でした。