小布施町で、昨日、今日と行われたイベントに出かける。
玄照寺という400年の歴史あるお寺に県内外から作家やアーティストが勢揃いする「境内アート・苗市」というお祭り。今年で2回目だそうだ。
軽井沢のカフェ「春や」のオーナー春枝さん(「春や」自体も参加する)から聞き、ぜひ行きたくてスケジュールを万端整えて、相方と2人、春の信濃路、車を走らせた。

我が家のある北軽井沢から小布施までは、嬬恋から鳥居峠を越えて、菅平高原経由で1時間と少し。思ったより近い。平地の町々村々には、もうすっかり春が訪れていて、梅に杏に桜、百花繚乱。春の「は」の字も感じられない高地民族の私たちにとっては、まさに目の覚めるような風景が広がる。
道中、須坂市では、なにやら手に手にピクニックバスケットやクーラーボックスを持った人々が移動していくのにつられてハンドルを切ると、そこには「ようこそ桜の名所、臥竜公園へ」とある。つられたのはよいけれど、道路は大渋滞、駐車場はすべて満車の表示。となると、予定外のこととはいえ、余計に見たい。公園をぐるりと回った、少し離れた川べりのパーキングになんとかすべりこませて、民族大移動に参加。
こんもりとした古墳のような公園には動物園や遊園地(?)もあるとのこと。ボートにも乗れる池の周囲に、お目当ての桜がずらり。5〜6分咲きというところだったが、今年初のソメイヨシノを、園内に響く演歌をBGMにしばし堪能。(どうしても演歌じゃなきゃダメなのかな、やはりこの場合。)
しかし、日本人をしてやっぱりこの時期一度は見ておかないとどうにもムズムズ落ち着かない、と思わしめるこの桜という花、不思議なモノですね。見たぞ、ということだけでなんとなくホッとしたりして。その例にもれない私たちも「見た!」そして「食べた!(屋台のニラ焼き&お花見団子)」よしOK、と、一路、目的の小布施町へ。

小布施は、昔ながらの酒蔵や和菓子屋さんなどが、趣を壊すことなくモダンに生まれ変わったり、イベントなども盛んで、「まちづくり」の成功例として今、注目を集めている町。そうした「動き」を敏感に察した若い人たち(主にモノ作り系の)の定住も進んでいると聞き、前から気になっていたため、今回のお祭りは良いきっかけとなってくれた。
北斎館や小布施堂などで賑わうエリアから少し離れた場所にたたずむ玄照寺。北信濃十三仏霊場の第二番札所として、普段から広く参拝客に開かれたお寺でもあるようだ。まず「苗市」という名前の通り、杉の木立の参道沿いにいくつかの植木屋さんが苗木を並べている。その先、町の文化財にも指定されている立派な「三門」をくぐると、本堂前の境内に、作家・アーティストたちが思い思いの場所、方法で、作品を展示していた。木彫り、陶芸、ガラス工芸、草木染め、銅版画…。中にはモニタで映像作品を流していたり、段ボールで作った小屋があったり。屋外だけでなく、回廊や本堂内まで開放して、無機質なオブジェも、そこにあるのが当たり前のような顔をして鎮座している。
ちょうど着いた時には沖縄のミュージシャンがライブをしていて、その雰囲気も、その後BGMに「ケツメイシ」が流れていても、不思議と違和感はない。かといって、若者だけの“「和」を意識した奇抜な展示会”というのでもなく、本来お寺にマッチしているおじいちゃんおばあちゃん達も、どれどれ、と楽しげに参加者と会話を交わしている。お寺の住職さんも、デジカメ片手に各ブースに顔を出している。出店者の中には地元の園芸高校の生徒たちもいて、自作の竹紙や苔玉を、おずおず販売したりしている。
これが、よその公園とか、人工的なイベントスペースで同じ事をしても、このなんともいえない心地よさは出せなかっただろうな、と思うと、お寺側の懐の広さを思うと同時に、そもそもお寺はこういう地元の人たちの“ちょっとしたハレの場”として使われてこそ、なのかもしれないとも思う。
上田の「大西そば」(発芽十割そば)のかけそば(300円)も美味。「苗市」で庭に欲しかったヤマボウシの苗木を買い、お寺脇のレンギョウや山須臾の咲き誇るのどかな農道を通って境内を後にする。メインイベントとして行われる大般若法要を見られなかったのは残念。
お寺と若手作家たちとの(流行り言葉で言うなら)コラボレーション。決して肩肘張った難しい企画ではなく、その場所にそのままにあるものを利用した、ちょっとの工夫とアイデアのタマモノ。
自分たちの住む町でも、出来ないことではない。ちょっとの工夫とアイデア、「この町を楽しくしたい!」という若い人たちの想いさえあれば。