村上春樹は、日々の暮らしの中のささやかで小さい、けれど確かな幸せ、のことを、「小確幸」と呼んでいました。
今日の私の「小確幸」。
その1。
お昼間、町中に立つ電光温度計を見たら、(0℃より)プラスになっていた。
車の窓を開けて、外の風を感じてみたりする。
ひゅうひゅう〜♪と口ずさんでみたりする。
もう、どん底は過ぎたのかな、まだこれからなのかな。。
その2。
いつも出勤途中の国道で、無意味に片側通行を規制していたサイン灯が、ようやくなくなった。
これ、ホントに無意味だったんです。
日中は確かに道路工事をしてるのですが、夜になって工事の人たちがいなくなっても、信号だけは残されていて。
普通にすれ違えるんです、全然。それなのに、2分とか待たされる。
おまけによく捕まって、意味ないんだから、エイ、行っちゃえって思うんだけど、やっぱりなんとなく信号の強制力に負けてしまう。小市民(←懐かしい言葉)。
残り10秒くらいの表示で、発進して、やっぱり無意味だったから、ああ、行けばよかったなと悔やまれる。
こんなことが、毎日のちょっとしたストレスになってたり、します。
それが今日は外されてた。
誰か私と同じストレスを持った人が、役場の道路工事課に訴えたのかな。よしよし。
その3。
「あなたの書く文章は好きですよ」と、ふたりの人に誉めてもらった。
ひとりは、仕事を通じてお世話になってる、素敵な大人の女性に。
もうひとりは、たまたま図書館で出会った、見ず知らずの人に。。。(笑)
後者の人は、たまたまひょんなきっかけでお喋りをしたら、私の関わってる仕事内容などにやたらと詳しく、(小さい街なので、こういうこともままありますが、)ある号の特集を差して「これもあなたが?」と聞くので、はい、と答えると、
「私、会いたいなと思う人にはこうやって必ず出会えるの。これを読んで、これを書いた人に会ってみたいなと思っていたのよ」
と、真顔で言われてしまった。
どうやら、彼女の念力に引き寄せられたらしい。
プロセスはどうあれ、誉められたことは単純に嬉しい。
おかげで、行き詰まっていた短いインタビュー記事も、ようやく動き始めた。
誉められて伸びるタイプ(良く言えば)です。
(単純である、とも言います。)