朝起きると、顔が重たい。
うつぶせに寝る癖があるので、だいたいが起きるとむくんでいるのだけれど、これは違う。
鏡を見て、やっぱり.....
一年に一度くらいの割合で、「お岩さん」になることがある。
まぶたが腫れて、ひどい状態。
過去には、むくむくと腫れあがって、ついでに熱と吐き気もともなって、夜中、救急病院に駆け込んだことも。
原因は不明。なにかのアレルギーなのか、疲れからくるものなのか。
「Let's 朝穫り!」と張り切ってみたものの、これではお外に出られない。(ほんとに、人様に見せられる顔ではナイノデス。)
仕方なく、アイスノンを押し当てながら、すごすごとベッドに引き返す。
今日は畑仕事、特に忙しい日だったのに。。
静かな部屋に春蝉の合唱がわんわん響いて、なんだかラジオ体操をずる休みしたような、うしろめたい気持ち。

読みかけて、進めずにいた文庫を、横になりながら開く。
向田邦子の「眠る盃」。
この人のエッセイは、つくづく巧い。
脚本を書く人なだけあって、短いエッセイにもきちんとオチがある。
使う言葉は簡潔なのに、場面がカラーの動画で浮かんで来る。
可笑しいように書きながら、最後にほろりと泣かされる。
記憶力がものすごい。突飛な場面に出くわすことが多い。
タイトルの「眠る盃」とは、「荒城の月」の一説、「めぐる盃、かげさして、、」の部分を、どうしても「眠る盃」と歌ってしまう、という話から。
ただ間違えるだけでなく、散々酔っぱらった挙げ句に盃を手に眠ってしまう父親の情景と合わせて、思い込んでしまっているという。
そういえば、昔私は、アニメ「巨人の星」のテーマソングの出だし、「思い込んだら〜」の部分を、ずっと頭の中で「重いコンダラー」と翻訳して口ずさんでいた。
「コンダラー」なんていう単語自体存在しないのだが、なんとなく、テニスコートの上を平にならす重たいローラーのようなものと自分で設定し、星飛雄馬がそれを必死に引っ張る姿の絵まで、今でも鮮やかに思い浮かべられる。
ある時、「思い込んだら」だと気付いて、一人秘かにとんでもなく驚いた。
滝廉太郎の名曲とアニメソングを比べては申し訳ないけれど、向田さんの本を読みながら、ふとそんなことを思い出した。
しっかり者でよく気がつくばかりに、まわりにおせっかいして、結局自分がびりっけつになっていたり、12時間かけて肉を煮詰めた凝ったソースを作ったりするくせに、身の回りの整理整頓が苦手だったり、原稿を書く時にあらかたの筋が決まったら、それに安心して何日かつい遊んでしまったり、猫に演説をして小馬鹿な顔で見返されたり。
大作家さんに対しておこがましいけれど、他人事とは思えないエピソードが次々に登場して、あっという間に夢中で読み終えてしまった。
途中、腫れあがった顔に当てたタオルを片手で押さえながら、クツクツと笑っていたら、私の寝ているのをいいことにくっついて寝ていた猫に、それこそ小馬鹿にした顔でチラ見された。
特に何が...という訳ではないけれど、なぜかジタバタと気ぜわしく、落ち着いて本を読む時間もなかったここ数週間で、思いがけずポトリと落してもらった静かな時間。
「お岩さん」は、見かねた神様からの施しだったのか。
それにしても、朝よりはだいぶ退いたとはいえ、うっとうしさはまだ消えない。
「お・も・いぃ〜、こんだぁらぁ〜〜」と不気味に口ずさみながら、しばらく隠遁していよう。