
高原の村にも、真夏のようなギラギラした日射しが照る。
いつもは、ぼんやりとした淡い風景なのに、突然、葉っぱの一枚一枚までがくっきりと鮮やかで、すべてが自分を主張していて、眺めているとクラクラしてくる。
このクラクラ感・・、そうだ、沖縄で見たような色彩だ。
近くに海があるように錯覚してしまう。あったら、飛び込むのに。

お天道様は、すべてのモノに平等に降り注ぐ。
樹々にも、花にも、野菜にも、雑草にも。
農薬を使わない農家さんでは、除草(雑草抜き)は大事な仕事のひとつ。
時には、いったいここは何を植えたの?というくらい、一面ジャングルになっていたりする。
そのジャングルに鎌を手に身を沈め、ひたすら、ひたすら、黙々、もくもく、草を抜く、刈る、引っこ抜く。
目的に植えたものよりも、雑草(と私たちが呼んでしまうもの)の生命力が勝るのは、定説。
草というよりも、立派に低木になりつつあるようなモノたちを、「えいや、ごめんよ」と引っこ抜く。
優遇されるもの、疎まれるもの。考えちゃうと進めなくなるので、もくもく、やる。
なにしろジャングルなので、先が見えない。
ぴょこっと頭を出してみると、畝の終わりは、遠くとおく、ゆらゆらと陽炎の向こう。
無理だ、こんなの絶対終わらないよ、と思いながらも、とにかく進めていくと、あるとき、ひと際大きいのを抜いたら、突然ゴールに着いていて、目の前がぱーっと開ける。
立ちくらみながら振り返ると、きれいさっぱりした畝が延々と後ろに続いてる。
何事もやれてしまうもの、不可能はないのだ、と、しみじみ。
だって、さっきはあんなに遠くにいたのに。
何事も為せばなる。(ただし、地道に脇目もふらず頑張れば、だと思うけれど。)
最後に視界が開けて、目の前に浅間山がどおーんと見えたのは、よかったな。
山にも、ちょっと認められたような感じが、(勝手に)した。