雪曇りの静かな日。
降るのか降らないのかどっちかね?という微妙なところ。
いったんわんさか降り続いたあとは、まとまった雪はなし。今年はこのまま少ないのかしら。
住環境面ではありがたいけれど、なんだか物足りないような、これまた微妙なところ。
小さなキツツキの仲間の鳥が(ゲラ類の違いがいまだにわかりません)、小さな嘴でコチコチと庭の木の幹をつついてる。
そんなところに幼虫が隠れているのかな。
お向かいの家の屋根の雪が、ぼそっ、ぼそっ、と少しずつまとまって落ちるので、そのたびに気になって見てしまい、ええい、一気にどさーっと行けーーっと念じたら、最後に盛大な雪崩がおきて、すっきりした。
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あまり力を入れる予定ではなかった(といっては怒られるかしら...)副業のアルバイトのおシゴトが、思ったよりも忙しくなってきて、単細胞な脳みそがそちらに引っ張られて、フツフツと沸騰中の今日この頃です。
同時に、春からのお店の計画や、それ以前にそろそろ決まりそうなイベントの予定、はたまた個人的には春頃に海の向こうへの旅行も企んでおり、はてさて何から手をつけよう....(汗)
そんなことを言いながらも、夜はコタツでつっぷして鼾をかいたりしているので、単に時間の使い方の問題なのですが。。
数年前に流行った、やるべきことを優先順位をつけて効率よく進められるというナントカ手帳みたいなものが、今欲しいです。
そんな、無駄に沸騰するばかりで、生産性の上がらないアタマを冷やすために、少し前のある日に経験した穏やかな心静まる午後の時間のことを書こう。
無性に、もわもわふわふわした柔らかいものを心が求めていたようで、染織家の友人Mさんのもとへ駆け込む。
「羊毛を紡がせて!」と、唐突なお願いにも嫌な顔をせず、紡ぎ車の使い方を教えてもらう。
まずはお手本を拝見。足は一定のリズムでペダルを踏み込み、左手で軽く押さえた原毛の束から、右手で毛束を引き出し、よじって送る。
その先で糸は勝手によじられて、巻き取られてゆく。
見ている分には、体のどこにも力の入っていないような、滑らかで緩やかな所作。
よし、ではっ、と勇んで、車に相対する。
ペダルを踏む。あれあれ、逆回転ですよ。おまけに、結構重いんだな、ペダルも。
なんとか車が廻り出すと、今度は手元が追いつかない。あららら、どんどん太くなってちゃうよ。おまけに、キチキチによじられた毛糸は電線のよう。ふわふわというよりは、ゴワゴワして優しくない。
アタマにイメージしてきた、北欧かどこかのハンカチーフを巻いたおばあちゃんが、眠ったように体は動かさず、時間も止まったような窓辺のひだまりでクルクルと紡いでゆくシーン(近くにはペチカも燃えていて、足元には猫も丸まっていて...)は、脆くも崩れそうになる。
私のは、どちらかといえば、戦い系だ。
こちらが戦闘態勢なのだから、迎え撃つ方も優しいものなんか生み出してくれない。
むむ、悔しい。。
見かねたMさんがお茶を出してくれ、一息いれつつ、ふたたび挑戦。
ん、少しだけ、なにか分かったような。(いや、自分の間違ってる部分がわかった、というだけのことだけど。)
ほんの数分でも、足と手元が一定のペースをつかんで、アタマではなく、体だけで勝手に動いていくような、そんな瞬間になれた時は、気持ちよかった。
このまま何も考えずに、ひたすらこうして紡いでいたいとさえ思えてしまった。
そのあとの毛糸は、少しだけ、毛糸らしいふわふわした優しいものになった。
糸紡ぎ、いいなぁ。
紡ごう、もっと紡ぎたい。
できあがった毛糸玉は、太さも様々、縒りの強さもまちまちな、いびつなかたまりだけれど、自分には初めて紡いだ記念の品。
愛しくて、ほおずりしたいくらい。
その日は、秋の終わりに拾った矢車附子の実を持参して、同時に原毛を染めてみた。
煮出すととても濃い茶色になるのに、実際には薄いベージュ程度にしか染まらない。
でもそれも好きな色だから、それで嬉しい。
こちらは干して乾かして、の行程をお願いしてしまって、出来上がりは後日のお楽しみ。
木の実をずんどう鍋でぐつぐつ煮ると、なんともいえない香ばしいような、滋味たっぷりなよい香りがした。
染織の方たちが「気持ちよくてやめられない」というのが、わかる気がする。
染める材料の木の実も、染められる羊の毛も、手助けをする鉱物であるみょうばんも、もとはすべて自然界にあるもの。不純物のないピュアな世界。
アタマでごちゃごちゃ考える前に、自然と優しいものができあがる。
今の私には、なによりのクスリ。
染織、もう少し勉強してみたい。