久しぶりに、ドキドキしながらエッセイを読んでいる。
読んでいて、胸をすくような名言が次々飛び出てくるものだから、思わず鉛筆でラインなんて引いてしまうのも、いつ以来だろう。
『
わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(ちくま文庫)。
縫製すら知らずに、新聞記者からいきなり下着デザイナーになった、鴨居羊子というひと。
人見知りで、人間とよりも野良犬との交わりを好むほど繊細で、孤独でありながら、「下着」を自身の表現の命題と決意してからの大胆な行動力と絶対的な自信とセンス。
自分でも「なにしろ名前に2文字もついているくらいだし」と話すように、ホントにケモノの嗅覚が鋭いひとだったんだろう。
自分の初の個展の様子が、新聞の「家庭欄」に掲載された時に、憤慨した彼女の言葉は特に強烈。
この紙面の、良識的思考が、戦後の日本の母親を教育ママにおとしこみ、あるいは有閑な手芸族に仕立てたのだと思う。
そして奥様族は自分たちの努力の無さをタナにあげて、不都合、不自由、生活難は国家社会の責任と考え、そのくせ、すべての解決を国家に依存して恥じない。彼女は人間としての自立精神を失った。
私の当面の課題は、こうした家庭欄的良識派、婦人雑誌的教養派の奥様族に対して、どう運動してゆくかであった。
40年後も、尚もこうして、(有閑ではないにしても)手芸族であり、家庭欄的暮らしにどっぶり安住している女子のひとりとして、竹刀の一撃を受けた気分。
姿勢を正しつつ、豪快なタンカに泣き笑いしつつ、残りを読み切るのが楽しみで、惜しい。