旅のはじまりは、アイルランド。
日本から遠い遠い西のはずれの見果てぬ島。
島の西部、シャノン空港に降り立った時には、ほんとうにヘトヘトだった。
成田からロンドンヒースローまで12時間。ロンドンの税関は、時節柄とても厳しくなっていて、旅の目的を「サイトシーイング」では許してくれず、どこへ行くのか、何をするのか、まるで笑顔のない石の顔をした男のひとに、根掘り葉掘り問いただされた。(でかいリュックを背負っていたから、爆弾犯に思われたのだろうか。)
そのあと国内線のような小さなエアリンガスという飛行機に乗り換えるが、そこでも荷物を厳しくチェックされ、あのピーっとなる恐怖のトンネルのところでは、靴まで脱がされ裸足でくぐった。
華やかな免税店も何もない無彩色の待合ロビーで4時間近く待って、狭い機体に綴じ込められて、憧れの地に足を着いたときには、もう疲労と眠たさで体はぐにゃんぐにゃんになっていた。
だから、そこに迎えにきてくれた、数年ぶりに会う幼なじみの友人の笑顔で手を振る姿を見つけたときは、涙が出そうに嬉しかった。今からウン十年も前、幼稚園の入園初日に知り合った彼女。小柄な体から、いつもエネルギーが溢れ出して、周りまで元気にさせるそのオーラは健在。そして今は、実際にお腹のなかに、新しい命のエネルギーを抱えている。
彼女のプジョーに荷物を積み込み、リムリックの町を目指す。リムリックはアイルランド第三の都市、小説や映画にもなった『アンジェラの灰』の舞台にもなったところ。
暗くて景色はよく見えないけれど、看板や標識、信号のかわりにあちこちにあるサークルで、ガイコクだなぁと感じる。(アイルランドも日本やイギリスと同じ、左車線に右ハンドルなので、あまり違和感はないのだけれど。)
携帯からのコールでシャッターの開く超近代的(!)なマンションに到着し、友人のパートナーD氏とご挨拶。D氏はイタリア人、アイルランドを拠点に活動するダンスカンパニーを率いるアーティスト。顔だけでなく物腰や漂う雰囲気までもがハンサムな人だ。
用意してくれていた食事(申し訳ないことに疲労困憊で半分も食べられなかったのだが)と、日本からのお土産品披露(お茶やら佃煮やら簡易味噌汁やら)。
現地時間の0時過ぎに倒れるように寝る。丸24時間くらい動いていたことになる。
・・・と、ヤバいなぁ。こんなペースで書いていたら、いつまでも終わらない!
ちょっとはしょらなくちゃ。
* * * * *
翌日。薄い青空。
午前中は、リムリックの街を徒歩で巡る。
大きな公園に日本の桜にそっくりの花が満開。水仙の黄色も眩しく。(この旅で、いったい何万本の水仙を見たかしら!)
レンガの家に石の家。特徴的なのは、集合住宅でもそれぞれの入口の扉が、真っ赤や真っ青やグリーンなど、鮮やかな色に塗られていること。建物自体は地味なのに、そこだけパッと鮮やか。
通りの標識は、必ず英語とゲール語の2種類で表記されている。
アイルランドの主要な都市を結ぶ大きく幅の広いシャノン川の河岸には、白鳥や水鳥が群れている。
賑やかな商店街の頭上には、最近おこなわれたトーナメントを制したラグビーチームのフラッグが揺れている。(リムリックでは、意外にもサッカーよりラグビーが人気だとか。)


午後になって、近郊の古城・
ボンラッティ城へ。
お城見学の前に、近くの雑貨&カフェ『
AVOCA』でランチ。ダブリンに行ったら行こうと思っていたお店に、ここで出会えてビックリ。ポップなカラーの雑貨やナチュラルフードなどが、日本にはない雰囲気のお店。
1425年に建てられた一見変哲のない四角い石のお城は、中に入ってみて入り組んだ構造に驚く。幾つも秘密の部屋や細い螺旋階段などが隠れている。
お城の隣にはフォークパーク(民芸村)があり、100年以上前のアイルランドの小屋が、それぞれ漁師の家、機織小屋、水車小屋、パン屋さんなど再現されていて、でも変に観光っぽくならずに素朴な感じに並んでいて、お散歩がてら巡るのが楽しかった。ある小屋では、焼きたてのソーダパン(この旅で何枚のソーダパンが出てきただろう!しばらくソーダパンは食べないでもいい。)をくれた。
村の周りには、広い領地にさっそく羊に馬、牛。聞こえるのは鳥のさえずりだけ。長閑。
お茶がわりに、パブで早速アイルランド初ビール! 喉が渇いていたのでギネスはやめて、ラガーを頼む。(アイルランドでも、今の若者はもっぱらラガー派だとか。)母が頼んだサイダー(リンゴのシードル)も美味しかった。
夜はあらためて市内のパブへ。友人の選んでくれたその店は、外国人が想像するとおりのアイリッシュパブそのもの! 小山のように積まれたフィッシュ&チップスに、見ただけで胃が悲鳴を上げた(笑)。ギネスにシーフードチャウダー。メインの生演奏が始まる前に退散してしまったけれど、アイリッシュムードを堪能♪

