ゴールウェイに滞在する1日はそこを拠点とした日帰りツアーにしよう、ということは決めていたものの、行き先を湖もあるコネマラ国立公園にするか、アラン諸島にするか、ギリギリまで迷っていた。
バスの窓外に見えたバレン高原の石ころだらけの風景を見続けた後だけに、アラン島に渡っても同じ眺めなのじゃないかと思ったり。
それでもここまで来て、やっぱりアラン島を見ておきたい、という気持ちが勝つ。私がアイルランドをイメージする時には、真っ先に思い浮かべた場所だから。
アラン諸島は、イニシュモア、イニシュマーン、イニシィアという3つの島からなり、観光で訪れるのは中で一番大きなイニシュモア島であることが多い。
ゴールウェイからいくつかのバス&フェリーのツアーが出ており、私たちはツーリストインフォメーション内に窓口のある「アイランドフェリーズ」に申し込む。(往復1人31ユーロ)
ゴールウェイの中央を朝9:30に出発。バスで40分ほどのロッサヴィールという港でフェリーに乗り込み、30分でイニシュモアに到着。
ここがアラン諸島...と感慨に耽る間もなく、埠頭にずらりと待機するミニバスドライバーのおじちゃんに捕まる。みんな体格のよい赤ら顔をしていて、同じ人に見える。島を巡るにはレンタサイクルという方法もあるのだが、母と同行のためミニバスツアーを選択。(1人10ユーロ)
アランの島内巡りがスタート。バスは、島の北側の海岸沿いの岩だらけの道をガタガタと進む。やはり一面の石、岩、石、岩。ところどころに同じ石でも人的に積み上げられた遺跡が見える。10世紀より前の物も多く、1000年もの間ここで茫々と吹く風にただたださらされて立ち続けていると思うと、気が遠くなる。
お昼前に、一番の見どころ、ドン・エンガスに到着。ここで2時間ほど好きに過せと言われる。
ドン・エンガスは約2000年前に造られたとされる砦の遺跡。大西洋に面する断崖に石の塀が2重の半円を描くように残っている。内部は今はただの空き地。その昔、ここで何が行われていたのかは謎だという。
遺跡のある高台までは、石ころの遊歩道を20分ほど歩く。勾配は徐々にきつくなる。途中振り返ると、1本の木もないグレーの石灰岩の大地に石積みの塀がくねくねと弧を描く風景がどこまでも広がっていた。本当に1本の木もない。木はおろか、草むらのようなものや低木の茂みすら見えない。本当に、岩の大地と、その上に薄くへばりついたような牧草しか、ここにはない。石だけ。その潔さ。
第一の塀の入口を抜けると、突然青々した草と盛り上がった中央にもうひとつの高い塀。その先は垂直に切り落とされたような断崖絶壁。(ここには相変わらず柵はない。念願の腹這い体験がここで叶う。)
ここはなんとも言えない不思議な空間だった。ぽっかりと空と海に向かって開かれていて、目には見えない何かを包み込んでいるような。それとも、天から降りてくる何かを、千年も二千年も待ち続けているような。
海の向こうの土地で大陸が切り開かれ、人が増殖し、殺し合ったり助け合ったりしながら重ねてきた年月も、ここに立っていると別世界のことのように思える。その間、ここでは積み上げられた石が一つ二つと風にさらわれる以外は、「何も起こっていない」なんて。いや、そこでこそ「すべてが起こっていた」のかも... などと哲学的なことも考えてしまいそうなくらい、そこは世界の端っこであり、真ん中であるような場所だった。
やっぱりここまで来てよかった、と思った。
その後もいくつかの遺跡を眺め、ケルトの十字架の並ぶ墓地を眺め、ぽつぽつと立ち並ぶレゴで作ったような家々を眺める。
土産屋で絵葉書や羊の置物、アランセーターの店で小さな赤ちゃん用のニット帽を買う。
島を離れる前、時間を潰すためにお茶をしている頃から風が強くなってきた。それまでは、快晴と無風で、おそらく「まったくアランらしくない」お天気の一日だったかもしれない。



最後に立ち寄った海岸で、そこらじゅうに無数にある石の中からひとつを拾って持ち帰ろうかと考えた。手にとった瞬間、この石を島外に持ち出しても何の輝きも持たないことに気づいて、再びそっと地面に降ろす。
あの私が触れた石が、今も数千、数億、もっともっと数えきれない単位の石の積み重なるあの島で、そっと、じっと、息を潜めて存在している。そのことを想像できる方が、よっぽどロマンチックなような気がしたからだ。