東京の近くで暮らして、このおうちがまだベッソウだった頃は、
休みが取れればここへ来て、家族と、恋人と、ともだちと、
ぼーっとしたり、散歩をしたり、ドライブしたり、
アウトドアでごはんを食べたり、トランプや麻雀に興じたりして、
「日常」を離れて、日々の嫌なことやストレスを発散させていた。
滞在時間は夢のように過ぎて、また荷物を持ってこのうちを出る時は
心の底から帰りたくない、と思った。
だから、東京を離れて、こっちに暮らすことを決めたとき、
みんなに「いいね、素敵そうだね」と言われると、「そんなことないよ、
きっと大変だってば」と返しながら、心のどっかでは思っていた、
こっちに来れば、仕事から生まれるストレスや、人間関係のいざこざや、
自分自身のなかの弱いところ、ずるいところ、汚いところ、小さいところ、
そんなのもみんな、この大自然と、きれいな空気が浄化して、
とっぱらってくれて、
じっさい心ゆたかな「素敵」な毎日が待っているんだろうな、と。
だけど、そんなわけにはいかない。
当たり前だけれど、そこが生活の場になれば、そこが「日常」になる。
仕事もする、「お付き合い」もある、
毎日BBQする訳にもいかず普通のごはんも作る、
掃除もする、光熱費も支払う、ルールや決まり事もある。
仕事に行き詰まり逃げ出したくなる、
イライラして人に当ってしまったりする、
相変わらず自分は、よわくてずるくて卑小なまんまで、
嘘をついたり、ごまかしたり、大事な人を傷つけたりもする。
心がバサバサして、肝心の身の回りの「大自然」の変化や美しさにも
全然目が向かなかったり、気付いていなかったりする。
ベッソウやリゾート地は、あくまでそこが「非日常」だから魅力的なのだ。
それは軽井沢に限ったことではなく、
バリ島でもハワイでもボラボラ島でも一緒。
旅人と現地に住む人では、見える景色も、吸い込む空気も、
違うものになる。
だからといって、ここが嫌になってしまったという話ではなく。。。
大事なことは、どんな場所であれ、やっぱり当たり前の毎日を
ただ、きちんきちんと、大事に、丁寧に、過ごしていくということ。
日常の粗雑でめんどくさいことや、自分の内面的な問題と、
周囲の環境や、勝手に思い描いた夢想の暮らしとを比較して
「こんなはずじゃないのに」と毒付く前に、
もう一回、ちゃんと、この地に足をつけて
身の回りを見直してみること。
「日常」を暮らしながら、それでも、日々咲いては散っていく野の花や
どしんと力強く存在する浅間山の姿を「やっぱり、いいもんだなぁ」と
思えるようになるまで、私はまだまだ未熟な「仮の滞在者」に過ぎない。
(つけたし)
今日の帰り道、峠道でカモシカに出会った。
カモシカは道路の真ん中に立ちふさがっていたけど、あんまり大きいし
立派すぎて、ホンモノだと気付くまで数秒かかった。
慌ててブレーキをかけた私に動じるふうもなく一瞥をくれたカモシカは
しばらくしてからノシノシと草むらに消えていった。
たぶん、こんな経験は、毎日暮らしていないと、
なかなか遭遇できるものでもないだろうな。。。
(つけたし その2)
どうやらニホンカモシカだったかもしれない。