お店のブログとして覗きにいらした方には申し訳ありませんが、私事のご報告をさせていただきます。
先週、相方の父が他界いたしました。
突然のことに、相方をはじめ家族は皆ショックを受けながらも、初七日も終え、ふたたび少しずつ日常の暮らしを取り戻しつつあります。
気づいた時には、病が進行し、本人ですら自覚もないままに、静かに息を引き取りました。
痛みを周囲にもらすこともなく、間際まで仕事を続け、喚かず、取り乱さず、凛と晴れた冬の朝、そっと舞台を降りました。
離れた場所に暮らしていても、「そこに居てくれる」はずの人がもういない、という不在の感覚に、今はまだ慣れません。
悲しみは、思い出の量に比例するものだから、私などはそのことを語る資格もありません。
ただ、義父が最後の数ヶ月可愛がっていたインコが、義父そっくりの口笛を真似て「ヒョイヒョイ」と鳴いてみせるたびに、大好きなお酒と釣りをもう少し楽しんでもらいたかったなと思うばかりです。
ちょうど、このことが起こる少し前に読んでいた中国出身の女流作家の小説に、中国のことわざのことが書かれていました。
人と人は偶然に親子になるのではない、人と人が親子として出会うには、その前に1000年もの祈りを捧げる必要がある、という言葉です。
いい言葉だと思います。
祈る時間に比べて、ともに過ごせる時間は僅かかもしれませんが、そうやって、たしかに受け継がれていく想いがあるのだと思います。
厳しい冷え込みのなかにも、ふっと体の緩まる瞬間を感じられるようになってきました。
ひときわ、長く、厳しかったこの冬のことを、私たちは忘れることはないと思います。
と同時に、分厚い雪がゆっくりと溶けていくように、少しずつまた自分たちの道を進んでいけたらと思います。
皆様にはご心配をおかけして、すみませんでした。
ひとまず、相方に代わり、ご報告まで。