お店を開けている間は、いくら誰もいない時があっても、原稿を書いたり、他のことに手をつけるというのは難しい。
パラパラと本を開いたりすることはあるけれど。
今、やらなければいけないことは山のようにあるけれど、そうもいかない、、、ならばコレだ!と、肚を決めて、ハンモックにごろり。
我が家の庭の片隅の、大きな布製のハンモックは、大人でも体がすっぽり包み込まれて気持ちがいい。
ちょっぴりゆらゆらするだけのはずが、気づいたら普通に眠りこけていた。
ぱっと目を開いたときに、真っ青な空と、眩しい陽射しと、緑の葉っぱが幾重にも覆い被さっているのを見て、びっくりした。
私の頭のなかには、まだ冬のグレー一色だった景色のほうが鮮明に残っていたから、一瞬どこにいるのかわからなかった。
今年の新緑は、ことのほかきれい。
(と、たぶん、毎年思って、それを忘れているのだろうけど。)
芽吹きの緑や、次々と咲き出した色とりどりの花たちが、こんなに鮮やかに見えるのは、きっと、この場所特有の「光」のせいだと思う。
高原の町に射す光は、ちょっと特別。
空に近いせいなのか、空気が澄んでいるからか。
この町に降る光が、他とは違う、特別なものだということを、今日、ある人から届いた言葉で思い出しました。
暮らしてしまうと、当たり前になって、見えなくなってしまうことがある。
そうでした。
幼い頃の記憶のなかでも、いつもこの場所は、きらきらした光に溢れていました。
まだ森が深く生い茂る前のこの時期。庭には一日中、光が降り注ぐ。
地上30cmほどの高さで揺られながら、あー、こんなに無防備に陽に当たっていたら、鼻の頭のそばかすが(シミとはあえて言いません)ますます増えちゃうなー、でもいいやー、とか思いながら、日がな一日、この光を浴びていたい....
そんなふうに思える今日この頃。
頭のなかでは、こちらはまだ遠く彼方にチラリと光るものに、なんとか追いつこうと、必死。
楽しくて、苦しくて、泳いでは沈んで。
半年に一度くる、正念場を迎えています。