挨拶はあらためて…と言っておきながら、こんなにも時間が過ぎてしまいました。
その間、北軽井沢には何度かの雪が降り、気づけば日中の気温がプラスにならない真冬日が当たり前のように続いています。
まずは、この秋、閉店のお知らせを(webやSNS上でのあまりにも簡単なものでしたが)して以降、短い時間にお店に駆けつけてくれたみなさま、さまざまなかたちで言葉を寄せてくれたみなさま。
遅くなりましたが、ほんとうにありがとうございました。
こっそりと、淡々と、静かにフェイドアウトしようと思っていたので、こちらでは特別なことも何も用意できなかったにも関わらず、いつものご近所さんから、数年ぶりの遠方からの方まで、思いがけない来店が続いて、すっかり慌てふためいてしまいました。
せっかく来てくださったのに、ゆっくりお話もできなかったことも多く、申し訳ありません。
こんなことならもう少し早く打ち明けておけばよかったなぁ…。
ただ、おしゃべりのくせに、改まって「ありがとう」とか「さようなら」とかのやりとりがめっぽう苦手なので、このひと月くらいの期間が限界だったかもしれません(笑)。
オープン日のたびに、頭が懐かしさやありがたさで風船のようにパンパンに膨らんで、11月はずっと地面から10cmくらい浮いたような心地で過ぎていきました。
そんなみなさんからももちろんたくさん聞かれたこと。
どうして閉めることにしたのか。
ひとつは、3年前から(相方が木こりの道を選んだので)ほぼ完全にひとりで店に立つようになったことで変化が生じたこと。
もともと週末に2日ほどのオープン。ひとりでももちろん自分の仕事と両立させて、やりくりできないことはありません。
もっと忙しいお店をひとりでやり続けている方もたくさん知っています。
ただ、この3年の間に、わたしの編集やライターの仕事や、そこから派生して調べたりまとめたりしてみたいことが少しずつ増えてきて、時間など物理的にも気持ちの面でも多くを占めるようになってきました。
それにともなって、カフェを開くにあたっての作業が、ほんとうの「作業」というものになり始めてしまいました。
もともと「麦小舎」という場所は、コーヒーや軽食を提供して、収入を得て、効率よく回して……を目的に開いたものではなく、森のなかに開かれた場所を用意することで、街では味わえない静かな(少しキザに言えば)創造的な時間を過ごせる場にしたいという思いがありました。
そしてその思いは、この12年の間に、ささやかではあっても、当初わたしたちが思い描いた以上のかたちで、叶えられてきました。
だからこそ、この1~2年、この場所に立つ自分の動きや感覚が、作業に追われ、現状をなんとか維持するだけでしかない状況になってしまっていることが、窮屈で、残念で、このままではいけないと考え続けていました。
店主のその迷いや自信のなさみたいなものは、場の空気にも伝わってしまいます。
どこかぎくしゃくした思いを抱えながらも、閉めるという決断には至れずにいたところ、昨年から今年にかけて、建物にもあちこち不具合が見られるようになりました。
もともと築30年近かった山小屋を、別荘から住宅へ、さらには兼店舗として手を加え、思えばこの建物にもたくさん無理をさせてしまいました。
築40年を越えて、支障が出てくるのも当たり前。
これからも何十年かわからないけれど住み続けていくためには、ここで一度、家として、住まいとして、じっくり手当てをしてあげたい。
わたしたちも、週末のたびの来客を意識して、少しカッコつけて無理をして暮らすよりも、もともとこの山小屋がそうであったように、家族や親しい人にとっての親密で居心地のよい場所に戻してみてもいい頃なのじゃないか…、そう感じました。
家と同じく年を重ねた存在がもうひとつ、いやもう1匹。
「麦小舎」の影のシャチョー、猫の麦も15歳を過ぎ、まだまだ元気ではあるものの、週末のたびの幽閉生活を若い頃よりは嫌がるようになり、(お客さんのなかには、時折2階から聞こえる断末魔のような叫びを聞いた方も多いはず!)こちらにもそろそろ限界が来ていました。
以上が、ざっくりとですが、いま、なぜ、小舎仕舞いなのか、のコトの顛末です。
12年といえば、干支もひとめぐり。
小学生も大学生や社会人に。(実際にお客さんのなかにもたくさんいます!)
何も変わっていないような気がするのは自分たちだけで、時間は着実に流れ、移り変わっていたのでした。
寂しくないといったら嘘になりますが、でも、感傷的になりやすい自分にしたら意外なくらい、今はただたださっぱりと清々しい気分です。
というのも、「麦小舎」という場所のおかげで、わたしたちが貰ったものが、両手に溢れる以上にたくさんあり過ぎるからです。
いちばん大きいのはなんといってもこの場で出会えた、ひとり、ひとり。
ときには汗もかいたりした企み事の、ひとつ、ひとつ。
出会いに励まされ、紙の上に言葉を並べてみた、一枚、一枚。
そうして、大好きな人たちと積み重ねてきた時間の、ひとひら、ひとひら。
それは、「いい思い出」などという言葉で片付けられるものでも、お店という形がなくなったら簡単に失われてしまうようなものでもありません。
その、お金とも、地位とか名声とかともまったく次元の異なる「財産」は、12年の間に知らず知らず蓄えられた上に利子までついて、懐はたーんまりほっかほか!(株なんかと違って、突然ある日消えてしまったりもしません!)
この「財産」が、これからもきっとわたしたちを守ってくれる。
そう確信できるから、不安にも、寂しくも、ならないのです。
と、かっこよく〆ようと思いましたが、不思議なもので。
閉じることを決めたとたんに、この場所を使ってやってみたい新たな思いつきが、すとん、と落っこちてきたりもするものです。
「んもう、早く言ってくれれば!」と自分に毒づきつつ、ふと、それはそれでアリなのかもしれない、とも思います。
定期的に扉を開けておくことは、これからはもうないだろうと思いますが、ある目的やテーマのために、特別に年に数回、部屋に空気を入れるようにこの場所を開放することは、おそらく、たぶん、きっと、やるような気がします。
そしてわたし自身、この数年また新たに、より近しく、関わりを模索している「浅間北麓というこの特殊な土地の物語の発掘&編集プロジェクト(仮)」について、いよいよ本腰を入れてなんらかの形にして発表したり、興味のある方と共有していきたいと考えています。
そんなお知らせもまたここでできればいいなあと思います。
長くなりましたが、ひとまずの区切りとして、ご挨拶させていただきます。
12年間、「麦小舎」という場を、愛して(というほどでもない場合は、気に入って(笑))、また、もしかしたらわたしたち以上に大切に思ってくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
これからも、もし、どこからともなくコーヒーの香りがしたり、梢の上をさわさわと風が吹き抜けていったり、懐かしい本に偶然再会したりしたような瞬間に、ふと、ここで過ごした時間のことを思い出してもらえたら、これ以上嬉しいことはありません。
どうぞお元気で。またいずれ、お会いしましょう。
2018年 師走も最後の週に
白銀に輝く浅間山のふもとより
写真は、東京から駆けつけてくれた知人が、まさにラストデイを収めてくれたものを拝借。(Y.Hさん、ありがとうございます!)